2004 アジア・ジャパン沖縄オープン 2005

「まさか自分がこの大会で勝てるなんて」宮里聖志 思いも寄らなかった歓喜の瞬間

最終日は、8打差18位タイからのスタート。大差がついていたせいだけではない。
最後まで、緊張はなかった。
「今日は、自分らしさが出せたと思う」。
この沖縄の青空のように、「のびのびと、自由に」。
優勝しようとか、余計なことはいっさい考えなかった。

2001年以来のシード権復活に失敗し、挑んだ2週前のファイナルQT。
来季の出場権獲得に備え、幼いころから絶対の信頼を置く父親と、取り組んできたスイングとパッティング調整。
おかげで、QTランク16位に導いてくれた父の指導を、主催者推薦で出場を果たしたこの週もただ信じてやれば良かった。

「目の前の1打だけに集中して、バーディを取っていこう」。

それだけを考えて、14番までに積み上げたバーディは7つ。
まさか自分が、優勝争いを繰り広げていたとは思いも寄らなかった。

16番で1.5メートルのパーパットを「右にドプッシュして」外したときスコアボードを見て、「それまで、(首位で)並んでいたのに気がついた」。

気がつけば、コースのあちこちで、地元・ギャラリーが吹く指笛が鳴っていた。
「きよし!! 勝ってくれ!」
地元・沖縄の星、宮里家の長兄の初優勝を願う、ファンの期待は最高潮に達していた。
ロープの中の聖志にも、それは十分に伝わってきた。

それでも、不思議とプレッシャーは沸いてこない。
キャディと「なにしとんかね〜」と、16番のミスを笑い合いながら「また、次でバーディを取ってやる」とひょうひょうと心に誓った。

17番で、10メートルをねじこんだ。
再び、首位で並んで迎えた最終18番。
手前2メートルのバーディチャンスは、なぜか手の震えも感じない。

「入れてやろう、…と思ったけど。逆に、ここは緊張感が必要だったみたい(笑)」。
ボールはカップ右をそれ、通算14アンダーのままホールアウトも「精一杯にやった結果だったから」。ひとり抜け出すチャンスは逃したが、悔しさはなかった。
心には、ただただ爽快感だけがあった。

自身初のプレーオフを想像し、最終組のホールアウトを待つ間の約1時間は非常に長く感じられたが、パッティング練習には没頭できた。
いよいよやってきた最終組の18番ホールは、家族みんなで見届けた。
「悪いけど、ジーブと加瀬さんには、思わず“外してくれ〜”と願ってた」(弟の優作)。
首位タイのジーブ・ミルカ・シンがパーパットを外し、2位の加瀬秀樹がバーディパットを外したとき、宮里家の歓喜の瞬間はやってきたのだ。

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