Tournament article
日本プロゴルフ選手権大会 2006
中田範彦「今日も練習行かないと!」
しかしある日、気がついた。
「そんなの、当たり前じゃん。俺、練習してないんだから」。
2000年にプロデビューするまで、挫折を味わったこともなかった。
悔しい思いをしたのは、小6の初ラウンドで大たたきをしたときくらい。
「球が当たらなくて大泣きした。それで真剣になった」とはいうものの、それでも毎日の練習は1日せいぜい150球程度だった。
「そんなんでプロになれてしまったのだから。みんなと差が開いて当たり前。それが分かったのがようやく3年前でした」。
練習量も体の鍛え方も、トッププレーヤーと自分との差は歴然としていた。多くの選手が専属コーチをつけて取り組んでいることがわかった。
さっそく中田も、堀野晃二コーチの門をたたいた。
その堀野さんが今週、バッグを担いでいる。
「堀野さんがいなかったら今週、僕はたぶんこの位置にいない」と中田は言う。
「ほっとくと、どんどん行っちゃう性格。本当なら今週、間違いなく全ホールでドライバーを握っていたと思う」。
会場の谷汲カントリークラブ(岐阜県)はティショットの落としどころが狭い上に、グリーンのアンジュレーションがきつい。
「それにスピードが速いから。ピンをデッドに狙ってもかえって難しくなる場合がある。無理しないで刻んで、遠くからでもいいからフェアウェーから打って、安全なほうを選んでいったほうがいい」。
分かっていても、つい冒険をしてしまう性格。堀野さんは、そんな中田をやんわりと諭してくれる。
「ゴルフはフェアウェーからだぞ」。
中央に松林、左にバンカーが横たわる11番パー4。ドライバーでいこうとした中田を押しとどめたのも堀野さん。かわりに3番アイアンを握らせて安全策を取らせた。
この日、ドライバーを持ったのは6ホールだけだ。
「これが、2日間アンダーパーが出た要因」と胸を張った。
通算8アンダーは、過去を返上して取り組んできたこの3年間の成果でもある。
プレッシャーはない、と言い切る。
「僕は昔から、緊張したことがない。だから残り2日ダメだったとしてもそれは気持ちのせいではなくて、技術のせい」。
それが分かっているから、やっぱりこの日のホールアウト後も練習場に足が向く。
「いまは少しでもレベルアップしたいから、自分のことで精一杯。・・・今日も、練習場にいかないと!!」。
このセリフを合図に、インタビュールームから腰をあげた。