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ダンロップフェニックストーナメント 2007
石川遼くんは32位タイに
自身初の2週連続の予選通過に、「今日はラウンドしていても、よいスイングができない。どこをどう注意したらいいのか分からない。確かに疲労があったと思う。特に瞬発力がなくなって、インパクトからフォローにかけての反応が鈍かった。今の自分の体力のなさを感じた」と話した言葉にも、いつものような元気がなかった。
7番から、5ホール連続でスコアを落とした。
特に8番は、右林に打ち込んだティショットが木に引っかかったまま落ちてこなかった。じっと見上げて5分間。
強い風に揺れる枝にボールが落ちてくるのを待ったが、ついにロストボールでダブルボギー。
そのあとも悪い流れを断ち切れず、11番までボギーを重ねて反省しきりだ。
「お父さんに今日のスイングをプレゼントしても、きっと受け取ってもらえない。情けない」と、寂しそうにつぶやいた。
2オーバーを打った初日のスコアが「4日間で一番悪いスコアだったといえるように」。
懸命に踏ん張ったが、この日74の4オーバーは、結局今週のワーストスコア。
「もう少し、どうにか出来たのではないかと思う」と、唇を噛んだが苦しい中にも見せ場があった。
332ヤードの13番パー4はティショットで狙い通りにグリーン手前のバンカーに入れ、3メートルに寄せてバーディを奪い、続く14番。
「26歩はあった」という長い長いバーディパットがカップに沈んだ。
「僕はロングパットがヘタで。距離感がまったくないので、あれは自分ではかなり珍しい。入るとは思っていなかった。その点では気分的に、マンシングウェアの17番と同じかもしれない」。
それは、史上最年少優勝を飾った5月のマンシングウェアオープンKSBカップで最終日にバンカーから奪ったチップインバーディにも匹敵する驚愕の1打。
宮崎のゴルフファンをうならせるにも十分だった。
この週は、これまでツアー6戦ですべてバッグを担いでくれた専属キャディの塘田隼也(とうだしゅんや)さんが開幕直前にケガをしてやむなく降板。
きゅうきょ、歴25年のベテランハウスキャディの清(せい)冷子さんに代役を頼むなどハプニングもあったが、コースを熟知しているのはもちろんのこと、常にかゆいところに手が届く。
清さんの心憎いほどの献身ぶりに、すぐに息はピタリと合って「経験で選手が何を求めているか。本当に何もかも知り尽くしている人でした」と、感謝を寄せた。
練習日の火曜日には夢の同組ラウンド。最終日には、プレゼントされた色違いのウェアでペアルック。そのポールターがついに日本ツアー初制覇という最高の結末に、この1週間で得たものは計り知れない。
世界の強豪が集う今大会にアマチュアが出場したのは史上初。憧れの舞台での数々の経験は「とても貴重で、絶対にムダにはならない」。
通算4オーバーの32位という結果には不本意だったかもしれないが、「初めて2週間連続でやってみて、分かったこともあるから」。いつか成功に転じてこそ、初めて失敗にも価値が出る。