Tournament article

UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズ 2007

フィリピンのフランキー・ミノザが首位タイ浮上

47歳を迎えたフィリピンの英雄が、いよいよ日本でも復活の兆しだ。長年、悩みを抱えてきたパッティングがこの日は冴えに冴えた。
本人には特に嬉しいのが、10番、14番、そして最終18番でいずれも3メートル前後のパーパットがしのげたこと。

また「このコースではフェアウェーキープが鍵になる」と、慎重にプレーを続け67をマーク。
通算4アンダーで谷口と並んで首位タイに躍り出た。

ファイナルQTランク1位の資格で参戦した昨シーズン。賞金ランク53位に返り咲き、14回目の賞金シードは外国人選手としては、最多の獲得回数だ。
その勢いを駆って、今年は2月のアジアンツアーで母国のナショナルオープンでもある「フィリピンオープン」で優勝した。
「それが大いに自信となっている」とミノザは言う。

年齢とともに体力の限界を感じ、成績も振るわなくなり「引退」を考えたのは45歳のとき。
ふいに気力をなくし、クラブを握らないまま2週間が経ったころだった。
やはり、頭をよぎったのは「僕にはゴルフしかない」という思い。

「一度は諦めたけど、いざ辞めたらいったい何をしたらいいかもわからないし、したいことも何もなかった。まさにNothing to doだよ。自分からゴルフを取ったら、何も残らない。まずはゴルフがあって、自分がある。そう思った瞬間に、体を鍛えなおそうという覚悟が出来たんだ」と、ミノザは当時を振り返る。

ターニングポイントを乗り越えたことで、ゴルフに対する心構えもガラリと変わった。
体もゴルフの調子も良かった頃は、予選落ちすると次の試合で取り返すため必死だった。

「しかし今は、起こったことに対して、それを受け入れる心がある」とミノザは言う。
「予選落ちしてもミスショットしてもボギーになっても・・・欲がないと言えば嘘になるけど、今までの自分とは少し考え方が変わったかな。歳を取ったということなのかな」と笑う。

そして母国での復活劇。
ダンロップオープンで国内ツアー初優勝をあげて、アジアの賞金王としてジャパンゴルフツアーに参戦を果たしたのは1990年。
以来、日本を含むアジア各国で活躍を続けてきたミノザはいまだに、アジアンツアーの選手たちにとって、憧れであり目標とされる存在である。

国に帰れば大統領に歓待を受けるほどの超・有名人がいままた、日本で6つ目の勝ち星を手に入れようとしている。

    関連記事