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The Championship by LEXUS 2008
ブラント・ジョーブが単独首位スタート
98年に国内通算4勝目をあげた日本プロは、当時10年間のシード権があったが“賞味期限”は今年まで。2000年から米ツアーで活躍しているが「やっぱり、日本のシードも途切れさせたくない」と舞い戻った(※)。
留守の間に新大統領が誕生し、「僕は共和党のマケインを応援していたら残念だったよ」とおどけて顔をしかめたが、「初の黒人大統領の誕生に、みんな興奮してるんだろうなあ」と、母国の狂騒曲に頭を巡らせ、ワクワクと語った。
そしてこの日は新大統領の誕生を祝う(?)好スタートだ。
ここ大利根カントリークラブは、「フェアウェイキープとグリーンにとても神経を使う。タフなコース」とため息をつきながら、この日ドライバーを使ったのは7、9、18番の3ホールだけ。
安全運転に徹して、難コースでボギーなしの7アンダー。
完璧なゲームプランで単独首位に立った。
日本を留守にしている間、17歳の石川遼が大活躍。
それに代表されるように、「石川くんの存在は先週の優勝で知ったよ。期待の星だね」と目を丸くしつつ、すっかり若返った日本ツアーで復帰2戦目にして百戦錬磨のその実力をアピールしてみせた。
ちなみに、今年43歳は最多アンダーパーの記録保持者だ。
1995年の三菱ギャランは通算26アンダーという驚異のスコアで日本ツアー初優勝をあげているだけに、誰より怖い存在といえそうだ。
※ジャパンゴルフツアーのメンバーながら、米ツアーのメンバーであるジョーブは今年、日本のツアーに3試合出場すれば来年度の出場権を獲得できる。
ブラント・ジョーブ
1965年8月1日生まれ。米の名門大学UCLA出身で、91年に米ツアーで27試合を戦ったが、賞金ランク189位でライセンスを失った。
その後、アジアンツアーに主戦場を移し、95年に年間3勝。当時でいう総合優勝で、日本ツアーの出場権を得た。
95年の三菱ギャランは、ツアー最多アンダーパー記録の26アンダーで初優勝。97年に2勝。98年は年間3勝をあげて、賞金ランクは4位に。今季まで保持していた10年シードは、同年の日本プロ制覇で得たものだ。
翌年から日米を掛け持ち、マスターズで14位タイ。全米プロ16位タイとメジャーで活躍。これが認められ、特別承認選手として2000年から米ツアーに復帰した。
米での優勝こそないが、5シーズンでシード権を獲得。オフのレジャーで指を損傷、手術をする不運もありながら本場で粘り強く戦ってきた。