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日本オープンゴルフ選手権 2009

今野康晴は単独2位にも

8月の関西オープンから出場6戦で、トップ10入り3回。VanaH杯KBCオーガスタでは、池田勇太とプレーオフの末に2位に入るなど、成績だけみれば、まるで絶好調に見えるのだが、残念ながらそうでもない。

確かに、今週も優勝争いには加わったが、胸を張れるショットはこの日もほとんどない。「半分以上が、“ええ〜?!”という出来ばかりで」。

5月の三菱ダイヤモンドカップのあと、頸椎ヘルニアを患い戦線離脱。痛みは右肘や、右親指の先まで及び、1ヶ月ほどほとんどクラブが握れなかった。
特別保障制度を申請して、夏場にようやく復帰したものの、休み休みの参戦。

先週も症状が悪化して泣く泣く欠場し、家で悶々と過ごした。

「たまに症状が良くなって練習してみるけど、100球くらいが限度で」。
だから、練習不足は否めない。

それでこの結果だから「家で出来なかった分、コースでのラウンドが練習だと思ってやるのがいいのかな」と苦笑いで首をかしげる。

「さっきはこういう失敗をしたから。今度はこういうふうに振ってみようか、とか…。他の人のスコアを気にするでもなく、そんな風に試行錯誤でプレーしているのがいいのかもしれません」と、今野はいう。

このゴルファー日本一決定戦で、もっともチャンスがあったのが、日光で行われた2003年だ。
3打差の単独首位で最終日を迎えながら2打差の2位で、深堀圭一郎に敗れた。

さらに下関で行われた前年の2002年には、首位と2打差で迎えた最終日に木に引っかかったボールを巡る一連の事件で、2打罰を食らうという不運もあった。

「あのときは、もっと日本オープンへの思いが強かったけど。今はそうでもない」と、ほとんど欲がないのはやはり、故障を抱えていることが大きい。

そんなわけで、石川遼と2サムで回る最終日も痛めた右腕をさすりながら、「寒くなって、体が動かなくなるほうが心配」と、別の意味でちょっぴり不安げ。

それでもやっぱり、奮起したい理由がある。
日曜日は、3歳になる雛代ちゃんの来年入園予定の幼稚園の面接日。長女が頑張っているというのに、お父さんが頑張らないでどうする!

「ここまで来たからには頑張ろうと思います。家族にもいい報告が出来れば」と、気合いを入れ直していた。

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