Tournament article

三井住友VISA太平洋マスターズ 2009

宮里優作「いつまでも藍ちゃんのスネはかじれない」

東北福祉大2年の2001年に、今大会で3日目に当時のコース新は63(現在は62)をマーク。V争いの末に、その年賞金王に輝いた伊澤利光に次いで単独2位に入った。
あのときから、ここ御殿場との相性の良さは相変わらず。

だが、あれから8年。
今では本人を取り巻く環境も、考え方も全然違う。

「あのときは、イケイケドンドンだった」。
賞金や、シード権や出場権。失うものがなにもなかった当時は弱冠20歳のアマチュアながら、初優勝は間近と言われ、ツアーに出場すれば並み居るプロを押しのけて、常に上位に顔を見せたものだ。

まさに破竹の勢いだった。今でいう、石川遼と負けず劣らずの活躍ぶりだった。

しかし、その翌年の2002年に華々しくプロ転向を果たしてからは、生みの苦しさが続いている。
本人も、周囲の期待に応えようと必死だった。
3兄弟のうち、もっとも勤勉で練習の虫は、それこそ朝から晩まで練習場に居座った。
人一倍トレーニングに精を出し、別人のように体をマッチョに鍛え上げた。

しかし勝てない。
2006年のサントリーオープンでは2日目、3日目に首位に立ちながら、最終日に76を打って、10位に転落したこともあった。
もうすぐにも初優勝を挙げると言われ続けて、本人もがんじがらめになっていたのかもしれない。
「ゴールを意識しすぎてアドレナリンが出過ぎたり…。うまくコントロール出来ないことが多かった」。

しかし、今は「あまり優勝、優勝ということを考えなくなった」と宮里は言う。

今年2月に長女・萊杏(らん)ちゃんを授かって、余計なこだわりがなくなった。
コースでは、相変わらずストイックに目の前の1打と向き合うが、自宅に帰れば娘にメロメロのマイホームパパに変身する。
「お風呂に入れさせたらプロ級ですよ」と、胸を張る。

新しい家族の存在が、ゴルフで一杯になった頭のガス抜きをしてくれる。
たとえミスしても、キャディバッグに忍ばせた娘の写真で立ち直る。
いま、一児の父として立つ御殿場は、あれから8年の時を経て、ショットのバリエーションも格段に増えた。
昨年からドローからフェードに球筋を変えたことで、逆にどのルートで攻めていこうか迷うほどだ。
「当時とは、明らかに技術は上がっているし、ショットの精度も高くなっている。初優勝も、いつか出来ると思っている」。
以前は、むしろはぐらかしてきた言葉もすんなり言える。

今年、米ツアーで悲願の1勝を飾った妹の藍さんを引き合いに出して、「僕もこの流れで行っとかないと。いつまでも、宮里家の稼ぎ頭のスネをかじってるわけにはいかないんでね」。そんなジョークで笑わせる様子も、いい感じで肩の力が抜けている。

関連記事