Tournament article
UBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズ 2009
五十嵐雄二「明日も一球入魂で」
気を落とさず挑んだ今季4戦目はツアープレーヤーNO.1を決める大一番。
6番でティショットを右に曲げ、とりあえず出すだけ。ピンまで200ヤード残った第3打もグリーンに届かなかった。アプローチで寄せきれず、4メートルのパーパットが残ったが、これをしのぐなど、耐えて難コースでボギーなし。
しかも4アンダー4位タイの好発進は、親友への何よりの快気祝いとなった。
バッグを担ぐ幼なじみの榎本睦(むつみ)さんが、後頭部に出来た腫瘍を摘出したのは今年1月。
さらに2月にもメスを入れ、まだくっきりと残る痛々しい傷跡をキャップで隠し、これが榎本さんの“復帰戦”。
「気合いが入りましたね」。
二人三脚の好スタートにうなづき合った2人は、石川遼が住む松伏町のお隣の街、埼玉県の吉川市の出身だ。
五十嵐の父親が運営する幼稚園に、弟の航くんが通っていた縁で石川家と知り合った。
榎本さんも交えて初めて一緒にコースを回ったのは、石川が小学校を卒業したばかりのころだ。
「なのにバックティからアンダーパーで回ってきた」。
ハンディをあげても、まだスコアで石川を上回り、プロの威厳を示したものの、底知れぬ才能を感じた。
「あのころから遼くんは、1打への集中力が凄かった」と五十嵐は振り返る。
あれから石川はあっという間にスター街道をのし上がって行った。
「遼くんが励み? いやいや、もう全然そんな段階じゃないでしょう」と首を振るが、かくいう五十嵐にも大きなチャンスがあったのだ。
あれは2001年の三菱ダイヤモンドカップだ。
茨城県の大洗ゴルフ倶楽部で行われた大会で、伊澤利光と藤田寛之とのプレーオフに挑み、自己ベストの2位タイにつけた。
獲得賞金は1200万円を超えて、初シード入りは当確と騒がれ本人もその気になった。
しかしそれが誤算だった。
ボーダーラインにわずかに届かず、賞金ランク76位でシード入りを逃してしまった。
あれから8年。
まったく稼げない年もあり、苦戦が続いているが今年41歳。
そろそろ花を咲かせたい。
「とにかく、明日以降も一球入魂で行きます」。
幼少期から知っている、17歳にも負けられない。