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〜全英への道〜 ミズノオープンよみうりクラシック 2009

石川遼がツアー通算3勝目をあげて全英切符を獲得

ツアー通算3勝目に、もはや涙はなかった。プロとしては2勝目。もちろん今さらハニカミもない。王子もいない。ウィニングパットの瞬間は、いつものあの躍動感溢れるアッパーカットもなかった。

「2打差で迎えた18番も、ティショットを打つまでは余裕ゼロ。最後のパットは本当に震えていて。入ったときのガッツポーズも準備が出来なかった」という。

両足でどっしりとグリーンを踏ん張ったまま、奥歯を噛みしめ思わず天を振り仰いだ表情はどこかキリリと引き締まり、優勝の喜びというよりも、最終日を初めて単独首位でスタートして逃げ切った達成感と満足感がにじみ出ていた。

ウィニングボールを観客席に投げ込んで、グリーンを降りる直前に、ふとフェアウェーを振り返る。
コースに向かって頭を垂れた。さらに改めて、控えめなガッツポーズ。
「今回は、このコースに勝てたかなという気持ち。それと、僕を受け入れてくれたコースに敬意を表したかった」。

その真摯な様子には、“遼クン”と呼ぶのにもどこか違和感がある。デビューから1年半。驚く速さで階段を駆け上り、プロゴルファー石川遼として、一段と逞しく成長した姿がそこにあった。

「今日は山あり谷ありのラウンドでした」と振り返った。自ら呼び込んだとはいえ、大きな試練も強い精神力で乗り切った。
ヒーローインタビューでなお「OBが来るんじゃないかと、今も緊張気味です」と笑わせた、本人も蒼白のハプニング。
それまで5打のリードを、たった1ホールで全部吐きだしたのは、12番のパー4だ。
好調だったドライバーショットが、いきなり乱れた。
すでに前の11番から兆候は出ており、改めてチェックしてティショットに臨んだつもりだった。

だが、左へ立て続けに2発のOB。
「原因が分からないまま」に打ったという3発目も左のOBゾーンすれすれだった。
バンカーへりのラフからのアプローチも寄せきれず、5オーバーの「9」を叩いて自ら落ちた。同組の金と、ひとつ前のスメイルにあっと言う間に並ばれた。思い返せば足に疲れが来ていた。「下半身が止まっていた。体重移動が出来ていなかった」。
気がついても後の祭りだ。

しかし我を失いかけたとき、ジャンボ尾崎の声が脳裏をよぎる。昨季の中日クラウンズ。14番でやはりOBを打った石川に、目を細めてこう言っている。「俺のほうが、はるかに(OBを)打っている」。
さらに、エースキャディの佐野木計至氏は、石川のプレースタイルをして「ジャンボのようなゴルフをしているな!」。どんなリスクも承知で果敢に攻める。常勝時代の90年代に、人々を熱狂させた胸をすくようなあのゴルフだ。

そして、父・勝美さんも、いつも言っている。
「遼、3連続OBでもいいんだぞ」。
左右に無数の白杭が潜む舞台で、いくつ失敗しようが堂々と、お前の持ち味で毅然とコースに立ち向かえと教えていた。

加えて、胸にずしんと届いた大ギャラリーの「ドンマイコール」だ。
「これまでにないくらいの声が聞こえてきて。並ばれてからが勝負だと思えた。リセット出来た。ミスしたことも忘れて行こうと思えたのは、みなさんのおかげです」。

そして16番パー5で、右手前ラフから30ヤードのアプローチでチップインイーグルを奪い、改めて下位を突き放す。最終18番も、1メートルのバーディパットで締めた。
「最後の最後まで、ギャラリーの方がとても多くて、ほんとうに最後まで気が抜けなかったから。充実した1週間。幸せでした」と、改めて感謝した。

4月のマスターズや8月の全米プロは、大会から特別招待を受けての参戦。しかし78年の倉本昌弘の22歳10ヶ月3日の最年少出場記録を抜きさって、17歳9ヶ月と29日で手にした7月の全英オープンは自力で掴んだメジャー切符だ。
でもやっぱり謙虚な17歳は「ここにいるみなさんが、一人でも欠けていたら実現しなかったかもしれません」と、頭を垂れた。
初めて挑む「ゴルフの聖地」はその餞別として、「今日、応援してくださったみなさんの気持ちを持って行きたい」と、石川は言った。

  • 大会を支えてくださったボランティアのみなさんにも感謝とねぎらいの言葉を忘れない

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