3月14日にプロ18年目の日高将史(ひだか・まさし)が訪れた宮崎市立佐土原小学校は、日高の出身校と目と鼻の先。
冒頭で「僕は住吉小学校でした」と自己紹介すると「うそ~!」「近い~」と、一気に急接近。
給食のあとのお昼休み時間に「一緒に“ドロケイ(鬼ごっこの一種)”しよう」と、誘われまんまと鬼さん役に。
逃げ惑う子どもたちの背中を追いかけ全力疾走。
「疲れました・・・(苦笑)」とえらい目にあったが、自らの半生を語る午後からの講演会ではしっかりと、子どもたちの心も掴んだ。
ゴルフの醍醐味を伝えて歩く選手会の伝道活動で、今年は初回から、宮崎県が続いているのはまったくの偶然である。
JGTOが全国の小学校へ、初心者用具のスナッグゴルフセットを寄贈するのと合わせて「プロを招いて講習会を開きませんか」と、寄贈校に毎年、お誘いのお便りを送っているが、今年の公募の第一陣で「ぜひに」と、手を挙げてくださった学校が、たまたま県下ばかりだったのだ。
3校目となった﨑田一郎・校長先生は、ゴルフはされないそうだ。
でも、2月の宮崎キャンプを見に行かれるほど野球が好きで、プロ選手との触れあいが、どれほど子どもたちの心を動かすか、肌身でご存知。
「どの世界でもプロになられるというのは本当に凄いこと。今日をきっかけに、うちの学校からもプロゴルファーを目指す子が出てくれたら嬉しい」という校長先生の期待が伝道師のやる気を燃やした。
「まずは、好きなことの延長線上に“夢”があるのが理想かな・・・」と、午後の「夢を持とう」の講義のテーマもブレずにしっかり深掘り。
「大人になると、夢を語るのが恥ずかしくなっていくというのはあるけど、あえて思いを秘めず、自信を持って周囲にも言い続けていると、自然と行動に出て、絶対に夢はかなうと僕は思います」と、熱弁した。
自身もちょうどみんなと同じくらいの年頃に、お母さんが希望する進学校か、お父さんが後押ししてくれたゴルフ部のある宮崎日大の中等部に進むか。選択に迫られた経験を持つが、「悩んだときは自分の気持ちに正直に。人生は一度きりです。好きなことを仕事にすると、きっと充実した人生が送れます」と、説いた。
10歳のとき、お父さんと見に行った伝統の一戦「ダンロップフェニックス」でプレー中の宮瀬博文(みやせ・ひろふみ)からボールをもらって感動。「プロになる」と誓った。
当時の喜びを今でも忘れず、この日は愛用のサンバイザーに加えて先月、沖縄で行われたスポンサー主催の男女ペアマッチ「HEIWA・PGMチャリティゴルフ」で自らかき集めてきた男女プロのサインボールを持参。
「この中からプロゴルファーになる子が出て欲しい」との願いをこめて、子どもたちにプレゼントした。
プロ10年目の17年にシード入りを果たしたものの、1年で陥落したままだが、2013年からゴルフ部コーチをつとめる地元・日章学園ゴルフ部が、一昨年の全国大会で史上初という男女アベック優勝を達成。
また同学園出身で、日高が可愛がっている後輩プロ、小浦和也(こうら・かずや)が、血が止まらなくなる難病を持ちながら昨季、初シード入りに成功するなど、教え子たちからの発奮材料には事欠かない。
きょうのお礼にと、最後にみんなで合唱してくれた「♪大切なもの」には涙が出そうなくらい感動した。
「僕のほうこそ感謝です。逆にいっぱいパワーをもらいました」と、勇気も百倍。
「まずシード復帰を目指して、トップ10に3回は入りたい」と、今年の目標を語り、「将来の夢は『ダンロップフェニックス』での優勝です」。
少年時代の自分に大きな希望を持たせてくれた思い入れの地元大会で、改めて夢を保ち続けることの素晴らしさを子どもたちに伝えてみせる。