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東建ホームメイトカップ 2007

上田諭尉「弟がいなかったら勝てなかった」

『諭尉』と書いて、“ゆい”と読む。「一度で正しく読んでくれる人は、めったにいない」という名付け親は、母・悦代さんだ。

長女・香織さんの次に生まれてくる子は「きっと女の子」と疑わず、名前も早くから「唯(ゆい)」と決めていた。第二子が男子と分かったあとも悦代さんは“ゆい”の呼び名は残したいと譲らなかった。
知り合いに字画など鑑定してもらい、男の子らしい今の漢字に落ち着いたのだという。

響きは優しげなその名前とは裏腹に、明るくワンパクな少年へと成長した上田は、14歳でゴルフを始めた。
地元・岐阜県の大垣日大付属高校を経て、専修大学へ。
3年時には中部オープンでベストアマを獲得し、その後「ガンガン攻める豪快なゴルフ」を武器に、97年にプロ転向。
2002年には初シード入りを果たした。

しかし翌年にはあっさりとシード落ち。
「屈辱的だった」と振り返る。
それだけに、4年ぶりに復帰を果たした今季にかける思いは強かった。
父・英郎(ひでお)さんの家業を継いで、多忙な日々を送る弟の崇宏さんを、あえて今回キャディに起用したのもその表れだった。

一時は、自身もプロを目指してハンディはプラス2。
初シード以前は、毎週のようにともに転戦してくれた崇宏さん。
技術面はもちろん、精神面のサポートも大きい。

会心のショットを打てば「そんな球は、アニキにしか打てないよ」と言って、大いに持ち上げる。
「誉められると乗っちゃう」という兄の性格を知り尽くしている。

今回、度重なったミスショットには、こう言って励ましてくれた。
「これまで、ひとつもボギーを打たずに勝ったチャンピオンなんてきっといない」。
そんな言葉の数々に、どれほど救われたことだろう。

「弟がいなかったら勝てなかった」と上田は言った。
その気持ちが、最後に堰を切ってあふれ出た。
18番グリーンで、固く固く抱き合った。
地元ファンの声援にも押されながら、兄弟で勝ち取ったツアー初優勝だった。



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