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ANAオープン 2007
篠崎紀夫「こんな小さな僕でも」
早くも高1で止まってしまった身長は、「サッカーをやりすぎて、足が磨り減ってしまったせいかもね」と、笑う。
小4からはじめたサッカーは、大学から特待生の推薦入学がもらえるほどの力があった。
合格間違いなしの太鼓判を押され、教員を目指して一校に絞った体育大は、なぜか願書提出で落とされた。
当時、普段の生活にはなんら問題ないほどの軽い不整脈があった。
高校の恩師と「そのせいでは」などと理由を探してみたが結局、分からないまま。
行き場を失って「てっとり早くお金を稼げる」と、趣味でたしなむ程度だったゴルフに転向し、プロを目指した。
わずか4年後の92年にプロテスト合格。しかしそれから先の道のりは思いのほか険しかった。
シード権はおろか、出場権すら持てない年のほうがはるかに多く、練習場の給料とレッスン業で食いつなぐ日々だった。
2002年に結婚。
しかし遠征費ばかりか、生活費もいよいよ底をつき、妻・美紀さんが「いつか旅行に行こう」と言ってコツコツと貯めていた「500円玉貯金」まで手をつけた時期もある。
何度も頭をよぎった。
「一生、勝てないどころか、シード権すら取れないかもしれない」。
それでも「ゴルフをやめようと思ったことは一度もなかった」。
いつかは、マスターズや全英オープンに出場できる選手になりたい。
小さな体に大きな夢を詰め込んで、懸命に歩いてきたこの16年。
これまで稼いだ賞金は1636万円。
それを一気に上回る賞金2000万円を手に入れて「何に使ったらいいのか」と、首をかしげて笑わせた。
今週のドライビングディスタンスは「下のほうから数えたほうが早い」56位(平均267.38ヤード)。
「パワーもないし、大きなやつには適わない。でも小さくても工夫すれば、大きなやつに勝てることもある」と胸を張る。
たとえば、先月からバッグに入れた7番ウッド。
「4番アイアンでは無理だけど、これならラフから楽に打てる」と今回も大いに役立った。
人より長いクラブを使う分、磨きに磨きをかけてきたアイアンショット、アプローチとパット。
92年のデビュー戦がこのANAオープンだった。
パワー不足を補ってあまりある小技で他を圧倒し、原点ともいえるここ輪厚で16年越しの頂点に立った。
表彰式のあとの記念撮影で一緒におさまったのは、ベストアマチュア賞を獲得した池田勇太さん。
いまや東北福祉大のエースは、篠崎の教え子だ。
いまから20年前に研修生として入社して、いまも籍を置く所属先の地元・千葉県の練習場『北谷津ゴルフガーデン』が推し進めてきたジュニア育成の一期生が池田さん。
「篠プロ」と呼んで慕い、「中学時代からすでに僕より前に飛ばしたやんちゃ坊主」と、いま肩を並べてここにいる。
“先生”に気を遣い、おどけて腰をかがめた池田さんの笑顔とぶつかって感無量だ。
「ジュニアより小さなプロゴルファーだけど、頑張ればこれだけ出来る・・・。みんながそれを励みにして、もっともっとゴルフが好きになってくれたら嬉しい」。
涙ながらの優勝スピーチは、きっと子供たちの心に届いている。
篠崎紀夫 しのざきのりお
1969年10月24日生まれの37歳。千葉県出身。15歳からゴルフを始める。私立千葉経済高校卒業後に本格的にプロを目指し、現在の所属先でもある千葉県の『北谷津ゴルフガーデン』で修行を積む。
丸山茂樹と同期の92年にプロ転向。しかし出場権にも恵まれない時期のほうが長く、ファイナルQTランク3位の資格で参戦する今季は6度目の本格参戦だった。
今年5月には今大会協賛のゴルフパートナーと用品契約を結んでいるだけに、輪厚で16年目の初優勝は何よりの恩返しに。身長162センチ、体重67キロ。家族は妻・美紀さんと、1歳半の長女・鈴華ちゃん。