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敗れた2組も最終日の健闘を誓った
特に、藤田寛之&宮本勝昌組は連敗。しかも、金度勲・大邱(キムドフン)&金旲渉(キムデサブ)組を相手に3アンダーは、4打差の完敗にもはや言葉も見あたらない。
「いや、明るい材料はあるんですよ」と、宮本はどうにか取り繕ったが、藤田は「バーディの数が少なすぎた。相手のほうが良いゴルフをしていたしね」と、どこかうつろな表情だった。
藤田は代表入りが決まったときから繰り返していた。「絶対に、チームに迷惑をかけたくない」。当時は、賞金ランキングでも、1位を走っていたときで、「不甲斐ないプレーは出来ない」とこの対抗戦に駆けていただけに、その直前にスランプに陥ってしまったことが、悔しくてたまらない。
師匠の芹澤信雄の特訓を受けて、必死の調整も間に合わなかった。
「もう1日、残ってますし」とどうにか気を取り直す。
「1個くらい、ポイント獲らないと」と、気力を振り絞る。
かたわらの宮本も「3日とも0点なんて、日本に帰れないから」と、巻き返しを誓った。
薗田峻輔と石川遼は“杉並学院高のOBペア”は、裵相文(ベサンムン)&姜庚男(カンキュンナム)組に、4アンダーは2打及ばなかった。
「でもけっして内容は悪くなかった」。
2番で石川は、深いラフから10メートルのチップインパーでしのいだし、薗田は12番で、先に7メートルのバーディパットを沈めて裵の2メートルのイーグルチャンスを封じた。
17番では、揃ってバーディで応戦。
しかしいかんせん、この日はバーディの数が少なすぎた。
それぞれのボールを打って、良い方のスコアを取るこの日のゲーム方式は、大量アンダーが出やすい。
なおかつ2人合わせても、6個のバーディでは太刀打ちできなかった。
ときおり豪雨と、この日は強い風に、なかなかチャンスにつけられない。
「もう1メートル近ければ、結果は全然違ったのかな、という場面が多かった」と石川。
薗田も「遼は、長いパットが残ったり、寄せ切れていない部分があった」。
ジュニア時代からしのぎを削り、気心知れたペアはハイタッチで士気を高めたり、石川が番手で迷った場面で、あえて近い方の薗田が先に打ち、「遼はそれを見て、考えてみて」と、チーム戦ならでは心遣いで相変わらず息のあったところを見せたがこの日は相手チームのゴルフがそれを上回った。
薗田は「相手を褒めるしかない」と潔く、いよいよ最終日のシングルス戦は、1対1の戦いに「チーム戦とはまた違うプレッシャーがあるが、それに打ち克つ。いま、この瞬間にもチームメイトも頑張っているということを、感じながらプレーする」。
石川もそんな先輩にならって「明日は、孤独な戦いになるけれど、いま同じ瞬間にみんなも頑張っている、と思えば心強い。その中で自分が一番、頑張るつもりでやる」と、力を込めた。