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サン・クロレラ クラシック 2010
高山忠洋が5年ぶりのツアー通算3勝目
そういう意味でも、「今回は、初優勝も同然だった」。
まして、屈指の難コースは小樽での激しい攻防戦に、13番は7メートルの長いバーディで一歩、抜け出しても余裕など持てるはずもない。
終盤でチャンドに2つのリードを奪っても、「差はあってないようなもの。ここでは、何が起きるか分からない」。その難しさに思わず祈りながらプレーする、という意味を込めて「北のアーメンコーナー」と呼ばれる15番ホールあたりから、胃がきりきりと痛み始めた。17番パー3は、7番アイアンで4メートルのバーディに一応はガッツポーズを握ったものの、まだ安心出来ない。
最後は奧から2メートルは、下りフックのパーセーブでようやく肩で息をつき、「嬉しいのと、疲れたのと。これでやっと、モノが食べられる気分」。
時に、体調を気遣う妻に、皿を取り上げられるほどの食いしん坊は、勝利を確信してまず初めに沸いてきたのが食欲だった、というのがなんとも微笑ましい。
この5年間は怪我との格闘の日々だった。
左親指付け根の腱鞘炎の痛みがピークに達したのは、2003年の7月。特にスイング時は、コックが出来ない。あまりの痛みに、風呂で背中も洗えない。懸命の治療もほとんど効果がない。ひどいときは、ペットボトルの蓋も開けられない。
オフにどうにか痛みは去っても、シーズンが始まればまたぶり返す。戦線離脱を余儀なくされる、その繰り返し。
その間に石川遼、池田勇太、薗田峻輔ら、若い世代が次々と台頭し、「肩身の狭い思いをした」。それまでのツアー2勝も彼らがプロ転向するずっと前。「僕のことなんか、知らないんじゃないか」との懸念。いまは30代の元気がない、と言われることも身に堪えたが、どうすることも出来なかった。
「パットは記憶のゲーム」とせめてクラブが握れない時期も、パッティング練習は欠かさなかったが、シード落ちの危機もよぎった昨シーズン中盤は、さすがに泡を食ったものだ。
秀島正芳トレーナーとの出会いもちょうどそのころ。秀島さんは、昨年9月に専属契約を結んですぐに、痛みの原因を突き止めた。地元・和歌山は星林高校・野球部で鍛え上げられた腕っ節の強さはピカ一だがその分、「高山さんはインナーマッスルが弱い。だから痛める」。
手首の強化として秀島さんが編み出したトレーニングは30種類以上にものぼる。
日々、献身的な治療で今季は、どんなに連戦が続いても、ひどい痛みは出ていない。
特に今週は、初日から2日連続のサスペンデッドで過酷な条件も難なく乗り切ることが出来た。「つらい時期を支え、後押ししてくれた」と感謝した。
そして、何よりも妻の梢さんだ。
毎週、毎日、毎ホール。雨の日も、強風の日も、酷暑も、ひどい寒さにも。プレーについて歩いて支えてくれた。この週は、2日目の1日36ホールももちろん、1打たりとも見逃さず、見守り、夫の勝利を心から祈ってくれた。
「妻の梢には、感謝しきれないくらい感謝してます」。
てらいのない愛の言葉に梢さんの頬に、再び新たな涙がこぼれ落ちた。
そして、3日目に小樽のコース新(63)をマークした石川らと肩を並べた表彰式。32歳のチャンピオンは、石川のほうにチラリと視線を送って言い切った。
「今年はこれからまた2勝、3勝と続けたい。遼くんに負けないように頑張ります!!」。
18歳に宣戦布告した夫には改めて惚れ惚れと、「カッコ良さを再確認しました」と、梢さん。
……ごちそうさまでした!!