記事
日本プロゴルフ選手権大会 日清カップヌードル杯 2011
秀道に、ジャンボも!! 河井博大のツアー初優勝を支えた
「僕なんかでいいんでしょうか」と、本人は長身を縮こませて謙遜するが、瀬戸内高校(広島)のひとつ先輩は、当時から河井の潜在能力を、高く評価していた。
身長181センチから繰り出す正確無比なショットは、「現場でそんな球を打たれたら、俺なんか絶対勝てない」と、ひそかに舌を巻いて見ていたのが、いまの師匠の田中秀道だった。
もっとも97年に再会した際には「プロになって、煮詰まった感じもあった」と、田中。
そのとき河井は、今大会の開催コースにほど近い、小野ゴルフ倶楽部にいた。表彰式で、「ここ兵庫県は研修生から始めた。第二の故郷」と、何度も繰り返したゆえんだ。
そんな河井に「名古屋に出て来い」と、田中は誘った。当時、自身の所属コースがあった地にわざわざ河井を呼び寄せ「すべて俺が面倒をみてやるから」と、田中は言った。
「どうしてあのとき自分はそこまで言ったのか。今思い出しても分からない」と田中は笑うが、「あの才能で、くすぶっている理由が分からない」という苛立ちが、心の中にあったからかもしれない。
この16年間で、河井はシード落ちと復活を2度繰り返したが、田中は心配していなかった。むしろ「一度落ちたら二度と這い上がれない選手がほとんどなのに、お前はまた戻って来られた。凄い」と褒めた。「でも、お前は自分でまだその才能に、気付いていない」。
2008年に河井が「ゴルフをやめたい」と言い出したときは、本気で止めた。
「俺のために、もう一度ゴルフをしてくれ」と弟子に頭を下げたのも、その才能を消してしまいたくなかったからこそだった。
そして、ゴルフに取り組む姿勢も。「あいつの練習量の多さは、ゴルファーのかがみです」と田中はいう。今週は特に、練習ラウンドから好ショットを連発し、「ショットメーカー有利のこのコースなら、河井が絶対に上位に来る」と、予感していたという。
そしてもちろん田中には、同じプロゴルファーとして、それを現実のものとした弟子へのうらやましさもある。自身は米ツアーから帰国した2007年からシード権を失ったまま。いまは出場権もままならない状況だ。
「だいぶ遅れを取っているので悔しさはある。僕は時間がかかりそうですが、頑張らないと」と、弟子の活躍を励みに復活を誓った。
そして河井の優勝報告を、楽しみにしている名選手がもうひとり。ジャンボ尾崎だ。河井と同じクラブ契約先で、ジャンボの弟子の小山内護を介して、いわゆる“軍団”の合同練習に参加したのはこのオフ。
「鍛えろ、お前はとにかく体力がなさすぎる」との一声で、タイヤを引っ張ったり丸ひと月、みっちりと鍛え直した。
その最中のある晩、高級中華をご馳走してくれたジャンボは、「今年、お前が勝つようなことがあれば、俺に今日と同じメニューをおごってくれよ」と言った。そして今週は、首位タイにつけた3日目の夜に、人づてに電話をしてきて「緊張するくらいなら、プロゴルファーをやめろ」。
厳しい言葉に奮い立った河井は「プレッシャーはあったけど、しびれることはなかった」と、栄冠をたぐり寄せた。
「秀道さんにも、ジャンボさんにも最高の恩返しになりました」と再び目を赤くした。