記事
尾崎将司が世界ゴルフ殿堂入り
10月6日(水)、横浜市内のホテルでおこなわれた記者会見には、テレビカメラ10台、スチールカメラ20台以上、ゴルフ記者約100名が集まり、盛大に催された。
尾崎は、1947年徳島県生まれ。1964年の春の選抜高校野球でエースとして活躍し優勝。翌年、プロ野球の西鉄ライオンズに入団したが、怪我に泣かされるなど厚い壁に阻まれ野球を断念。
ゴルフに転身したのは1968年の21歳の時だった。
1970年にプロデビュー。翌71年に初優勝を飾ると、2002年までの間に優勝すること実に113回、賞金王12回、年間最多優勝8回、最年長優勝記録(55歳7ヶ月29日)等々、尾崎の持つ様々な記録は、数えきれないほどと言っても過言ではない。
世界ゴルフ殿堂の最高責任者のジャック・ピーター氏、世界ゴルフ殿堂の理事でR&Aのチーフエグゼクティブのピーター・ドーソン氏が、尾崎の偉業を称えるために、それぞれアメリカ、英国から遥々来日。日本人4人目となる世界ゴルフ殿堂入りした尾崎にこの上ない賛辞を送った。
この賛辞にこたえる形の尾崎のスピーチでは、少し苦笑いを浮かべながら、こう切り出した。
「この世界ゴルフ殿堂入りを、どう受け止めていいのか、正直なところ、戸惑いと感謝が入り混じった気持ちでいます。」
尾崎は日頃から、『生涯現役』ということを言い続けている。それが故に、この殿堂入りを“そろそろ引退せよ”と言われているような気がして戸惑っていた。
しかし、まわりの皆が祝福してくれ、大勢の人が集まってくれた会見場を見ているうちに、「この殿堂入りを真摯に受け止めよう。そして、あらためて“生涯現役”として、情熱を持ってゴルフを追求していこう。」そう感じることができたという。
「私の頭の中には新しい“優勝”という2文字しか見えません。まだまだ若い選手には負けたくない。若手に負けない飛距離を持つことにこだわっている。残された時間は少ないけれど、もう一度優勝争いをして、その緊張感を味わいたいんだ。」
最後にそう感情深げに語った尾崎の目がまっすぐと前を見据えていたのが印象的だった。
会見の最後には、今の日本の男子ゴルフ界を牽引している2人が祝福に駆け付けた。
池田勇太と石川遼だ。
2人から大きな花束が尾崎に手渡された後、それぞれが祝辞を述べた。
池田は、憧れの存在を目の前にして緊張した面持ちで、「今回こうやってジャンボさんに花束を渡すことが出来て光栄です。いま、ジャンボさんと同じステージで戦えていることを誇りに思っています。この度は本当におめでとうございます。」
石川も、「ゴルフ界の歴史に残る、今この大きな瞬間をジャンボさんの隣りで過ごさせていただいて、本当に幸せです。今回の殿堂入り、おめでとうございます。」
2人から祝福された尾崎は、満面の笑みで応えていた。
明日の木曜日からキヤノンオープンが開幕する。
尾崎は、「いまは、明日から始まるキヤノンオープンでどうしたら勝てるかしか考えていない。」
そう言い残して、記者会見場を後にした。
*過去に世界ゴルフ殿堂入りした日本人
樋口久子氏 <2003年>
青木功氏 <2004年>
岡本綾子氏 <2005年>