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三井住友VISA太平洋マスターズ 2010

手嶋多一が単独首位に

ボギーなしの6アンダーで迎えた最終18番は、グリーンの奧から池に向かって打つ難しいアプローチ。

「池にだけは入れないように」と計算してエッジから転がしたボールは、きつい下りのスロープを伝って最後にコロン、とカップに吸い込まれた。

本人も予期しなかったイーグル締めは、8アンダーの単独トップ。いきなり2位に3打差つけるロケットスタートに、「まぐれですよ」と苦笑い。

元来が、大きなことを言う選手ではないだけに、「明日はきっと良くない」と冗談交じりに謙遜しきり。

会見場でも「ここに来るのは本当に久しぶり。いつ以来ですかね」と指折り数えて、「確か去年も1回もなかったし・・・」と、真面目に言って笑わせた。

ツアー通算6勝の選手もここしばらく元気がなかったのは、昨年10月のちょっぴり不幸な事件が発端だった。

10月に、2005年から愛用していたエースドライバーがいよいよ破損した。デカヘッドが主流の昨今にあって、380CCとこぶりのタイプはたいそう手に馴染んでいたが、それを失ってたちまちショットに精彩を欠くように。

今ではどこを捜しても同タイプのものはなく、新しい道具で戦うことになったはいいが、試行錯誤は長く続いた。

ようやく手応えが出てきたのは今の445CCのドライバーでプレーするようになってからだ。
実はメーカーがシャフトに工夫をしてくれた。
これまでの44と1/4インチから、45インチへ。
もっとも本人は、言われるまでこの変化にすら「最初は気づいていなかった」と笑うが、「おかげでヘッドが小さく見えて、違和感がなくなったみたいで」。このほんのわずかな差が、視覚的な効果をあげてくれたようだ、という。

一時期は持ち球のドローさえ打てなくなった時期もあり、「特に怖い場面でスライスが出たり」と安定感を欠いたが「今では思うようなラインが出るようになった」と、何よりショットの復調が、好発進に結びついた。

昨年12月には、41歳にして待望の第一子をもうけた。長男・泰斗(たいと)くんは、可愛い盛りでオフは風呂に入れるなど、世話をするたびにますます「頑張らなくちゃ、と思う」。

ちょうど難しい年齢にさしかかり、若手の勢いに押されて脱落していく選手も多い中で、同年代の活躍も励みだ。
特に現在、賞金ランキングは3位につけて、賞金レースを繰り広げている藤田寛之は、同じ福岡出身で97年のワールドカップではペアを組んだこともある。
「僕もまだ出来るのかな、と思わせてくれる存在です」。
そうだ、老け込むのはまだまだ早い。
「明日も60台で回れるように・・・。僕ももうちょっと頑張りたいですから」。
アラフォーの新米パパが、腕をまくった。

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