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住友VISA太平洋マスターズ 1999

「川岸先輩は、ずっとボクの目標だった」

「ボクが日大に入ったのは、川岸先輩に憧れてのことでした。ボクはめったに他人を意識するタイプではないけれど、唯一、目標にしていたのが川岸さんでした。

 大学は、川岸さんが4年のときにボクが入学したから、1年間しか勝負できなかったですけれど、印象は強烈でした。ボクが2番アイアンでグリーンを狙うところを、川岸さんは6番で打つような、化け物のような飛距離でした。

 川岸さんには、1年生のときの朝日杯全日本学生で勝った、1度きり。あのときは最後まで2人、並んでいて、18番でボクがイーグルを取って勝ったんです。ほんとうに嬉しくて嬉しくて、トイレで便器を抱えて、泣いたくらい。勝ったのはその1回だけでした。そのころ、川岸さんは黄金時代。ボクはいつも川岸さんの背中を追いかけるばかりでした。

 きょうは、『明日の最終日、ぜったいに川岸さんと同じ組でその存在を確認しながら回りたい』、ということばかり考えていました。プロ入りしてから、川岸さんと最終組で一緒になるのは初めてのことです。

 川岸さんは、常にこの位置(首位)にいてもおかしくないほどの実力を持っている人なんです。黄金時代は、『誰にも負ける気がしない』と言って、普通にゴルフをしているだけで、必ずトップ10に入るような人だったんです。

 それがプロになってからスイング改造して、スランプになってしまって…。

 前に、セベバレステロスが川岸さんのスイングを見て『カワギシはスイングを変えたのか?』とボクに聞いてきたことがありました。ボクは『MAYBE(多分)』としか応えられなかったけど、セベほどのプレーヤーはわかっていたんだと思う。

 スイング改造は失敗だったんだ、と…。ボクも前に一度、『川岸さん、どうしてスイング改造したんですか』と聞いたことがあったんですが、そのときはひとこと、『オレはこのままじゃダメなんだよ!』と、言われたきりでした。

 とても繊細で、それに、とても優しい人なんですね。

 でも最近は、とても先輩らしいスイングなってきてますよね。

 思いきって振れているし、右肩がよく押しこまれた、先輩らしいスイングできていると思う。

 ボクに『あの人に勝ちたい』と思わせてくれるのはあの人だけです。 明日の戦いを、本当に楽しみしています」

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