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関西オープンゴルフ選手権 2009
藤田寛之が今季2勝目!
なんといっても、コース新を塗り替える前日3日目の61が大きかった。首位タイに浮上して迎えた最終日は、同じ最終組で回る近藤共弘と富田雅哉と三つ巴の争いを制した。
一歩も譲らないバーディ戦は9番で1.5メートルを決めて、いち早く通算20アンダーの大台に乗せた。
続く10番で右OBも、左3メートル半のスライスラインを入れてボギーにとどめ、再び11番で8メートルのバーディをねじこんだ。
混戦を抜け出すや一転、じっとパーで耐え2打差で迎えた18番のティショットでフェアウェーを捉え、奧5メートルにつけて大歓声に手を振って答えた。
勝利を確信した瞬間。「プレッシャーで心臓が飛び出そうだった」と言うが、みじんも感じさせずにタップインでウィニングパットを沈め、堂々と逃げ切った。
全米プロで得たものは、計り知れない。
一番は、全長7674ヤードのコースで、「他の選手と比べても、そんなに劣っていない。タフな設定で十分に戦えている」という手応えと自信だ。
本場のギャラリーにも大いに乗せられた。大歓声と拍手を浴びるうちに、日に日にアドレナリンが沸いてきて、どんどん前向きになっていく自分を感じたという。
「日本でやっているときよりも、ずっと強い気持ちでプレー出来た。強気なコメントも、自然と出てきた」。
メジャーの興奮冷めやらぬまま、普段は謙虚な選手が最後まで「絶好調」と言い続け、まだ時差ボケも冷めないうちに頂点に立った。
6月16日に40歳。「昔でいうと、もう“初老”なんだそうです」と、笑わせたものだが30代のころには考えられなかった肉体の衰えを、確かに感じている。
アメリカから帰国直後は「筋肉がまるで粘土が固くなったみたいになっていた」。会場のここ宝塚ゴルフ倶楽部は一度も回ったことがなく、まさにぶっつけ本番を承知の上で、火曜日はあえて住まいのある静岡にとどまり、強ばりきってしまった体をほぐすことに専念した。
期間中は、練習仲間で後輩の上井邦浩の紹介で、日本最古の温泉といわれる有馬に滞在し、金泉と呼ばれる赤茶色に濁った湯に体を沈め、湯治につとめた。
連日の酷暑も考慮に入れて、プロ入りして初めてホールアウト後の練習をいっさい控え、体力温存に徹した。それでも金曜日には、契約を結んで3年目になるトレーナーの太田敦さんにとうとう鍼を打ってもらい、「やっと筋肉の張りが取れてきましたね」と言われたのが3日目の夜だった。
不惑を迎えていまなおスイングの悩みを抱え、日々鬼の形相で試行錯誤を続けている。「壁を突き破るには、何かを変えなければ」と、このオフから今までにないハードなトレーニングに取り組むなど「もっともっと」ともがきながら、自らを追い込む。
だからこそ、“初老”を迎えてなお進化を続けていられる。
40代で年間2勝以上を挙げたのは、日本人選手では当時48歳の尾崎直道が、つるやオープンと中日クラウンズで2週連続Vを達成した2005年以来だ。
「40代の鏡といってもいいんですかねえ……」と、ポツリ。めったなことでは、自分を認めたがらない選手がようやく言った。
「それだけのことはやっているんだから。結果を出した自分を褒めてあげてもいいのかな。自信を持って、いいんですよね」。
自ら起こした追い風に乗って、さっそく年間3勝目と、かねてより口にしていた国内メジャー制覇を改めて、次なる目標に掲げた。