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つるやオープンゴルフトーナメント 2009

富田雅哉が逆転初V

スコアカードが曇って見えない。涙があとからあとから溢れ出てきた。18番グリーン奧のスコア提出場で、何度も何度も目頭を押さえた。

目を真っ赤にして泣きじゃくるチャンピオンの背後には、師匠の笑顔が。
見守られながら、どうにか無事スコアを提出して改めて向き直り、その手を取って頭を下げた。

師匠が言う。
「今日は、勝とうと思ってやれたのか?」。
声を震わせながら答えた。
「勝とうと具体的には思わなかったのですが、とにかく首位に追いつこうと思って最後までやりました」。
「そうか…」と、師匠は嬉しそうに微笑んだ。
「それでも、1日7アンダーはよくやった」。
ねぎらいの言葉が心に染みて、また涙……。

ゴルフを始めてから20年。常にこの人がお手本だった。師匠の初優勝を、すぐそばで見届けたのも自分だ。

95年のフィリップモリスチャンピオンシップ(現・マイナビABCチャンピオンシップ)。
田中秀道が18番グリーンで喜びに泣き崩れたとき、いたわるようにその背中にそっと手を置いたのが、そのときキャディをつとめた高校3年生の富田だった。

あれから14年。
以来、師匠と慕ってきた恩人の目の前で、自らもツアー初優勝を飾って恩を返した。
師匠が深刻な腰痛から1年ぶりに復帰して、その2戦目に1年半ぶりの予選通過を果たしたこの大会で、成長のあとを示してみせた。

「それが嬉しい」と、また涙がにじむ。

4打差の3位タイから猛追した最終日は、15番でこの日7つめのバーディでいよいよ逆転に成功し、17番パー5では15メートルもの下りの大きなスライスラインも「なぜか入る気がした」という。
奇跡のイーグルパットに、ほぼ勝利を確信して最終ホールを迎え、最終組よりひとつ前の組で、ボギーパットのウィニングパットを沈めた瞬間に脳裏をよぎったのは、やはり師匠の顔だった。

2006年に初シード入りを果たし、そのあと幾度も優勝争いに加わりながら、毎年賞金ランキングの30位台に甘んじて、それで満足してしまっていた自分。
叱り飛ばしてくれたのも、田中だった。
「お前は本当に、勝とうと思ってやっているのか?」。
詰問に、答える言葉がなかった。師匠からの愛のムチに、気持ち新たに迎えた今シーズンだった。

この日も師匠の言うように「勝とう」と思ってやれたかといえば、自信はない。
「僕には、まだ勝とうと思ってプレーすることがどういうことなのかが分からないんです」と、正直に富田は言った。
「でも、今日はとにかく(上田)諭尉(ゆい)さんに追いつくつもりでプレーしました。それが優勝につながったことで、目標を持ってやらなければという思いが強まりました。また、このあとすぐにでも勝ちたい。2つ、3つと勝利数を増やしていきたいです」。

本人には自覚はないが、あのとき師匠の言わんとしたことも、今回の初優勝ですでに血となり肉となった。

ファンのみなさんへ、富田からのメッセージ
今日は朝からの冷え込み、そして雨と悪天候の中にもかかわらず、こんなにもたくさんの方に応援していただいて、本当に感謝しています。
これからもますます精進し、次の2勝目、3勝目とつなげていきたいと思います。今後もたくさんの声援を、どうかよろしくお願いします。
…ちなみに、僕の名字を「とみた」と呼ばれる方が多いのですが、正しくは「た」は濁って「とみだ」と読みます。僕としては、いちいち訂正するのも面倒くさいし、どちらでもいいと思ってきましたがせっかくの機会ですし、この優勝をきっかけに「とみだ」の名前が広まればいいなあ、と思っていますので、よろしくお願いします!
  • 18番グリーン奧のアテストテントで師匠が祝福に駆けつけてくれていたことを知り、歓喜の涙…
  • 初めての優勝スピーチで「主催者」を「しゅしゃいしゃ」とカンでしまって、あとで照れ笑い
  • 仲間と主催者のみなさんによる胴上げで宙を舞って感無量!!
  • いつも礼儀正しい富田(左)はボランティアのみなさんからの人気も絶大。今回も暖かい祝福を受けて律儀に頭を下げていた。

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