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アジアパシフィックオープン ダイヤモンドカップゴルフ 2014
藤田寛之が今年のアジア太平洋地域のNO.1に【インタビュー動画】
前日の3日目に、上がりの連続ボギーで通算1アンダーは、首位と4打差の14位タイまで落ちても、藤田は諦めてはいなかった。「この難しいコースでは、逆に最終組で回るほうが厳しい」。とはいえ、6つも前の組から逆転Vを飾ってみせるとは。
「アンダーパーとオーバーパーの差が激しい僅差の戦いも、優勝は僕の位置からがギリギリ。今日は100点のプレーが出来てやっと手が届くかどうか。4アンダーで回って、勝てなかったらしょうがない」と、最初の固い決意は最後まで揺るがない。
「とにかくボギーを打たないことを考えてプレーした」と、再三のピンチもしのいで1、6、9番と、バーディを重ねてついに11番で単独首位に立ったときには百戦錬磨のベテランも「さすがにシビれた」。ただでさえV争いの重圧は、「コースからの緊張感も凄いので」と、名匠・井上誠一氏の設計コースで無類の強さもあまりにタフな戦いに、最後は声も枯れていた。
17番で最大のピンチを迎えて、右の林の中からの2打目も「出そうとしたのがトップした」と右のラフに埋もれて、161ヤードの3打目は、9番アイアンで木の下をうまく抜いて4メートルに乗せても、この日初のボギーに最後の18番パー5は、「絶対にバーディが必要になった」。
常にスコアボードを見ながら戦術を立てる勝負師も、経費節減の折りは多くの大会で、場内設備を減らしていく傾向の中でも「この大会ではこれだけのスコアボードを作っていただきありがたい」。感謝しきりで、18番のティグラウンドに上がる直前にもスコアチェックはぬかりなく、S・K・ホが同スコアで並んでいることを確認して「バーディなら勝ちかプレーオフ。パーならプレーオフか負け」と、一か八かの最終ホールで、手前の深いラフから右3メートルに寄せてこれをねじ込み「今日は会心のゴルフができました」。
あとは誰も寄せ付けずに最終組は、まだ3ホールも競技を残して、早々に勝負を決めた。
先週は、弟弟子のV9をアシストしたキャディのピーター・ブルースさん。「実は、今日は彼の46歳の誕生日で」。“チーム芹澤”の2週連続Vは、恩人にも何よりのプレゼントになった。
「勝った翌週は毎日、全員に食事を奢るのがチームのルール」。今週は、予選落ちを喫した宮本は、しかし律儀に週末も都内に残って、前夜もきっちりとご馳走をしてくれた。「今週は、僕の番です」。さっそく翌1週間のメニューに頭を巡らす今季3勝目は「勢いのある孔明を抜いてしまった」と、これで賞金ランクも1位に浮上。
ツアー通算18勝のうち、40代での勝利もこれで12勝目を数えて、本人の思いとは裏腹に、「応援してくれる方はますます増えていく」。非常に励みになる反面「もっと、頑張ってとか、力になりますとか言われると・・・。もう、そんなに背中を押さないで、と。ケガをするから、と」。実際に、一昨年は肋骨にヒビ。今季は春先に左肩を痛めて「医者にはシーズンが終わったら、1ヶ月は打たないでと言われている」。
そんな状態の中で「今季3勝目というのが信じられない。去年から自分のゴルフも下降気味で、修正してもっと上にいけるんじゃないかと思ってやっている途中だったので、この結果は驚きです」と、本人も目を剥く快進撃だ。
ゴルフへの執着も以前ほどではなくなり、「この歳でくじけそうになることもある」と嬉しい悲鳴を上げながらもやっぱりこうして頑張れるのは、「応援してくださる方の後押しがあるから。40代は曲がり角。いろんな壁にもぶつかる年齢に、それを打ち破っていく自分への賞賛の言葉をいただけるから」と、やっぱり感謝の思いはそこに行き着く。
このまま賞金王を押す声にも、「時期としてそれはまだ早い。そのためにはまだあとプラス5000万円は必要なので」と、慎重に言葉を選びながらも目は光る。
「前は魅力を感じていなかったけど、一度頂点に立ってみて分かった。ゴルファーとして、最大の勲章だと。前回よりも、欲しい気持ちはある」と一昨年に続く、自身2度目のキングもひそかに射程に入れた。
「でも40代のおじさんが、年間3勝もしているツアーなんて世界のどこにもない。それはそれでどうなのか。向こうの選手は飛ぶ飛ぶ、とそれで終わってしまうのはどうなのか。英樹や遼と一緒に世界で戦う選手がもっと出てこないとダメ。若手改革が必要です」と相変わらずオヤジの苦言も忘れず、この1勝で、2008年にやはり亜日共催のパインバレー北京オープンを制して以来となるアジアンツアーのシード権も、もちろん「メンバー登録すると思います」。
まだまだ世界を股にかけ、不屈のおじさんはやる気満々だ。