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ダンロップフェニックストーナメント 2012
ルーク・ドナルドが日本ツアー初制覇
誰にも陰さえ踏ませなかった。英国出身のルーク・ドナルドが、4日間とも首位を走り続ける完全優勝で、日本ツアーを初制覇した。
最終18番も、ラフからの2打目を丁寧に刻み、ロブウェッジで3メートルのバーディチャンスも難なく沈めて軽やかなガッツポーズを作った。今季は欧米で1勝ずつ挙げて、これで3勝目も「僕にとってはこれがアジアでの初勝利。大好きな日本で、しかも歴史のあるこの大会で、自分の名前を刻めたことにはとても大きな意味がある」と、満足そうに頷いた。
「今日は特別に素晴らしいショットはなかったかもしれない」。しかしそれでも圧勝だった。「手堅く逃げ切ることが出来た」とルークは言った。目下、賞金ランキング1位の藤田寛之は3日目に同じ組で回って、「ルークは本気を出していないように見える」と言った。松林にセパレートされた難コースも「まるで散歩をしているみたい」。
昨年覇者の武藤俊憲は、予選2日間を回って「ルークはどんな場面でも慌てず淡々と、当たり前のことを、当たり前のようにやっている」。
言うまでもなく、藤田も武藤もルークが自分たちを相手に手を抜いていると言いたかったのではない。確実にフェアウェイを捕らえ、グリーンに乗せて、チャンスを決める。その繰り返しをルークはいとも簡単にやってのけるが、藤田は「それを簡単にやっているように見せるのが、実は一番難しいんです」と、力説した。
ルークは今回の来日で、よく「強み」という言葉を使った。「結果を出すには何より自分の“強み”を知って、それを伸ばしていくことが大事だ」と。ほかの欧米選手より飛距離は出ないが、正確無比なショットと絶妙の小技。
それこそがルークの強みだ。「それが、今週はこのコースと合っていた。飛ばすのではなく、正確に点で攻めるゴルフが要求されるコースで自分の強みを発揮できたのだと思う」。
もっとも、かく言うルークも一時はもっと飛ばそうと、躍起になった時期もあるそうだ。
「そのおかげで左手首に負担がかかって、2008年には手術をする羽目に」。以来、自分にないものをしゃかりきに追い求めることをやめた。「ショートゲームはゴルフの50%を締める部分。ここを極めることで、自分の強みを生かすことが出来ると思った」。そしてついに昨年は、欧米の両ツアーで史上初の“Wキング”にまで上り詰めるのだ。
今大会は、初出場の2007年に3位も当時とは、実績も立場も何もかも雲泥の差。態度やコースでの振る舞いも、一変していた。天狗になったということではない。むしろ逆。大会のスタッフが言う。「5年前は、すれ違っても挨拶を交わす程度。1週間一緒にいても、ほとんど会話もなかった。笑顔も見たことがなかった」。それが、このほど2度目の来日ではスタッフと声を上げてよく笑い、冗談さえ言うようになり、ぐっと親しみやすくなっていた。
ひとつはコンビを組んで3年目になるキャディのジョン・マクラーレンさんの力が大きい。以前はポール・ケーシーのバッグを担いでいた。当時はケーシーのほうが実力もランキングも上だった。それが、ルークを担当するなり立場が逆転した。「ジョンが担いでくれるようになってから、8勝は挙げているかな」と、昨年はついに世界ランク1位に。
ルークも言うように、ジョンさんのキャディとしての手腕もあるが、何より彼の明るい性格。誰とでも、すぐに打ち解けてしまうジョンさんにつられて、ルークも積極的に人の輪に加わるようになった。
そして、家族の存在だ。2007年の6月にダイアンさんと結婚。2人の娘も授かった。今週は12日の月曜日に次女のソフィアちゃんが1歳の誕生日を迎えたが、父親は日本に向けてすでに機上の人で、「みんなで一緒にお祝い出来なかったのは残念だけど。代わりに良いプレゼントを持って帰れる」と、プレー中は徹底してポーカーフェイスがこのときばかりは目尻が下がった。
ミズノと契約を結ぶなど、日本とのゆかりも深い。昨年の大震災では、海外にも配信された「TSUNAMI」の写真に心を痛め、ルークもいち早く義援金を送っている。また「あれほどの被害にあっても急速に復興が進む様子に、日本人の勤勉さや素晴らしさを改めて知りました」。今回は2度目の宮崎にも「みなさん礼儀正しくて親切だし、ここにいると、不思議ととてもくつろいだ気持ちになれるんです」と、微笑んだ。
来年もまた、必ず戻ってきて連覇を狙いますと、ルークは約束をした。その折りには、念願のメジャーチャンプの称号がついているだろうか。「今の僕の一番の目標です。来年こそメジャーで1勝以上を挙げたい」。3度目の来日ではさらにハクをつけて、大好きな宮崎に帰ってくるつもりだ。