あの日から、もうすぐ丸3年が経とうとしている。大学時代を過ごした第二の故郷。分刻みのスケジュールをぬって、谷原がやってきたのは宮城県の仙台市立富沢小学校。昨年はここ仙台の開催で、初めて東北地方で行われたスナッグゴルフ全国大会で集まった収益金。それに加えて同大会で協賛をつとめてくださった、地元の仙台エコーライオンズクラブのみなさんが昨夏に開かれたチャリティコンペを通じて集めてくださった寄金と合わせて大会主催のJGTOは、このほど被災3県に17つのスナッグゴルフコーチングセットを寄贈した。
ぜひ我が校でも導入したいと、真っ先に手を挙げられた小学校のひとつである。また県内3校で認定された「健康教育推進校」のうちの1校は、先の記録的な大雪も先週までにようやく溶けて、ちょうどこの日4日に、久しぶりに解放された校庭に子どもたちの元気な声が響く。
仙台にゆかりのあるプロゴルファーの登場が、子どもたちの好奇心を刺激する。午後から「夢を持とう」の講演会でも、さわりのビデオ鑑賞からやんやの拍手と大歓声が飛び交い憧れのプロが、何かひとこと発するたびに、にぎやかな子どもたちの合いの手。あまりの反応の良さに、さすがの谷原もたじたじだ。
「みんな、この日を待ちわびていたんですよ」とは、郡山孝幸校長先生。ご本人もやる気満々。58歳の今も、競泳やハーフマラソンに挑戦する“スポーツジェントルマン”は「だけど、ゴルフだけは上手くなったと思った次の日に、下手になってる」。だからこそ躍起になる。そしてこれを機会に上達の糸口を探そうと、子どもたち以上に真剣そのもの。
担当教諭の山内理恵先生も、県内のゴルフトーナメントには必ず足を運ぶほどのゴルフファン。「本当に大好きなんです」と、先生方の熱視線にも多少のプレッシャーを感じつつ、それでも子どもたちのあしらいは手慣れたものだ。
昨年は節目のツアー通算10勝目。脂の乗りきった35歳にとって社会貢献活動は、もはやライフワークのひとつである。昨年末にはジュニア育成や、障がい者の福祉事業支援を目的とした一般財団法人「Green Seed Foundation(グリーンシードファウンデーション)」を設立。また、毎年夏には地元広島県で、自身の名を冠したジュニア大会を開催しており、今年は早8年目。先日、地元でラウンドした際にアルバイトのキャディさんから「その節はお世話になりました」と言われて心底驚いた。「えっ、何? あのときの子がもう高校生になったの?!」。過ぎゆく時の速さに愕然とした。「俺も歳取るはずだわ」と、苦笑しつつも“教え子”の成長の軌跡を目の当たりにしたことで、なおさら生き甲斐を感じたばかりだ。
この日は午前のスナッグゴルフ講習会も、力が入った。握り方が分からなくて、モジモジしている子のそばに優しく寄り添う。頭を撫でて、励ます。ナイスショットには、必ずハイタッチで労ってあげる。「子どもたちに、ゴルフをもっともっと好きになって欲しいから」。思いの詰まった熱血指導は、あとで時間が足りなくなって、プロとの「ガチンコ対決」で人数に漏れた子たちからブーイングの声が出たほど。
この日、指導をした3年生は全部で3組。合わせて109人。2010年に開校したばかりの新設校が、谷原には羨ましい。「僕のときはこんなにお友だちがいなかったので」。地元尾道の小学校は、当時1クラスしか児童がおらず、まして今や他の地区と統合されて思い出の母校もない。「いいなあ、みんなはお友だちがたくさんいて!」。しかも、みんな揃いも揃って元気いっぱい。「すぐに“部員”も集まるでしょうね」。今年のスナッグ全国大会は、今年もここ仙台で8月9日に予定されており、今なら東北3県は“被災地枠”として予選免除で出場が出来る。「そんな美味しい話を見逃す手はない」と、郡山校長先生も来年度の定年退職を目前に、もうひと花咲かせてやろうと大張り切り。
サッカーなどの“ゴール型”とテニスやバレーボールの“ネット型”。また野球などの“ベースボール型”に加えてこのほど新たに加わる予定の“ターゲット型”。新学期から導入される「スナッグゴルフ部」の入部希望者も、この日の実技講習会を機に一気に膨れあがるはずだ。部員集めを任されている担当教諭の笹原敦先生も、この日の子どもたちの食いつきの良さにはきっとそうなるはずと、大いに期待を寄せている。
昨年の全国大会では選手会長の池田勇太をキャプテンとして結成されたプロによる“ドリーム・チーム”。「今年は谷原さんもメンバーに入ってくださるんですか?」と、郡山校長先生に聞かれて最初は首をかしげていたが、可愛い子どもたちにおねだりされれば、縦に振らないわけにはいかない。
本格的にゴルフを始めて3年という3年1組の湯浅汐梨さん。新チームの“キャプテン候補”が、この日は最後のサイン会で、自前のキャディバッグを持って現れ「全国大会に来てください!」。思わず「オッケー」と、答えてしまったからには、今さら引けない。「みんなが頑張ってくれるなら、きっと行くよ」と約束をした。「今年は僕も、8月までにツアーで優勝をしてもう一度みんなに会いに来るから。それまでみんなも頑張ってください」と、エールを贈った。
この2日後の6日木曜日には、今年もオーストラリアに飛ぶ。「みんなが今年もオマエに来て欲しいと言っているんだ」と、恩師に言われれば断れない。母校の東北福祉大学の恒例キャンプで、今度は可愛い後輩たちの指導にあたる。そんなこんなで、このオフもゆっくりと、休む間もない。これからも谷原は、ゴルフ界に緑の種を蒔いて歩く。当時はこの富沢小学校も、400人もの避難所となった。まだまだ復興ままならない第二の故郷においては、その思いはなおさらだ。