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HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP in 霞ヶ浦 2013
首位タイ浮上の桑原克典は「ツアーは天国」【インタビュー動画】
「昨日は久々だったこともあり、ちょっと探りっぽいラウンドだった」。しかし、ベテランが2日目ともなれば、試合勘を取り戻すなどワケはない。前半の9番では、あわやOBのティショットが木に跳ね返って左のバンカーまで戻ってきて命拾いをした。この運を生かして、グリーンの位置も見えないピンチも一転、6㍍のチャンスにつけるなど、「今日は何をやっても上手くいって。昨日より少し落ち着いて出来たかな」。
ボギーなしの66で回って首位タイ浮上に「ツアーは、天国ですね」との言葉に、この1年間の実感がこもった。
95年から11年間守ってきたシード権。2006年に一度失い、2008年にやっとの思いで取り返したと思ったら、再び陥落の憂き目は2010年。昨年は暮れのファイナルQTでもふるわず、ランク79位ではとうていツアーの出場権は望めず、今季はチャレンジトーナメントで自身初の“フル参戦”。
若手選手にとってはレギュラーツアーへの“登竜門”でも学生時代から、スター街道を歩んできた桑原にとってはカルチャーショックの連続だった。
「まず練習場は、ドライバーが打てないコースが多くて。練習球も制限があり、しかもレギュラーみたいに無料じゃない。その中からドライバー用に、より良いボールを選り分けたり、みんな工夫しながら頑張っている」。
経費も、レギュラーツアーとほぼ同じだけかかるわりに稼ぎがなくて、みなやりくりしながら前向きに頑張っている。「今までの自分は、なんと甘えていたのか」。若手に混じって自分もがむしゃらに取り組むうちに、見えてきたものがあった。
3年前にシード落ちをした原因だ。「一言で言えば練習不足だった、と」。40歳を過ぎて、「疲れが取れにくくなったり、ケガをしたり」。さまざまな要因が絡み合い、試合でも上手くいかなくなり、「練習しても、結果に結びつかないと、ますます身が入らなくなったり」。
それに引き替え、昨年は賞金王に輝いた藤田寛之。同い年でも「藤田くんは、学生時代は大したことがなかったけれど。今も完璧を追い求めていたり、僕にはない部分。けっきょく、彼を支えているのは練習量だと」。
また今年、ツアー初優勝を飾った塚田好宣も同い年だが「そういえば、彼はいつも前向きな言葉しか言わない。諦めずにやっていると、彼のように勝てるんだと。いい目標になる」と、見習うことばかりだ。表舞台から、一度離れてやっと分かった。「これだけ整った環境の中で今までやらせてもらっていたのだから。もっと頑張るべきだった」と、後悔もちょっぴり。「そんなことにも気づかせてくれる。チャレンジって色々と厳しさはあるけど本当に、素晴らしいトーナメントなんです」と、この1年間を振り返るにつけても、その意義を力説しないではいられない。
初心に帰って挑む優勝賞金4000万円のこのビッグイベントの出場機会をもらえたのもそうだ。大会主催の株式会社平和と、PGMホールディングス株式会社は、記念すべきこの第1回大会と連動して、今年3つのチャレンジトーナメントを開催した。
出場権のない若手選手にも、出場の機会を与えて将来を担う人材の発掘をするのが本来の目的だ。
「スミマセン、僕は若くはないんですが・・・」と先月はその“最終戦”にあたる茨城県のスプリングフィルズゴルフクラブで開催された「HEIWA・PGM Challenge III〜Road to CHAMPIONSHIP」で、3ホールのプレーオフを制して、勝ち上がってきたベテランは、「僕らにもこうして道を作って下さった。本当にありがとうございます」と、感謝で心を一杯にして決勝ラウンドに挑む。
「ここで僕のような選手が活躍出来ると、チャレンジで頑張っている若い選手たちにも励みになるし、大会の意義が実現出来る。そう思うと、本当に頑張りたいと思うんです」。チャレンジの代表選手として、胸を張って挑む週末だ。