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藤田寛之がマスターズへの思いを語る

賞金王が、あこがれの舞台への尽きせぬ思いを語った。1月22日火曜日。藤田寛之が、昨年創業125周年を迎えた契約メーカー「ヤマハ」の東京銀座店にある「ヤマハホール」で今年、自身2度目となるマスターズトーナメントの挑戦表明会見を行った。大勢の報道陣の前で、その意気込みを語った。

初めての招待状を受け取ったのは2年前。静岡県掛川市の自宅のポストに投函されていた。「だから今回も」と、本人は思い込んでいたから昨年末に、所属事務所から「招待状らしきものが、こちらに届いています」との電話を受けても、「いや、それは違うと思いますよ」と即答してしまったのだが、押し問答のうちに、やっぱりそうらしいということになって、「手続きのこともあるし、少しでも早く封を開けたほうが」ということになり、今回は事務所のスタッフによる電話越しの開封作業となったから、その点では少々味気ないものとなったが、改めて身が引き締まる思いになったのは間違いがない。

緊張のあまりに、身の置き場さえなかった初挑戦の2011年。
「コースに行ってもどこに行けばいいのかさえ分からなかった」。すでに、3度の経験があった石川遼をして「マスターズの師匠」と呼び、当時18歳を頼りにしたベテランは、本番まで7回の練習ラウンドでは「ハーフの平均スコアはやっとの思いで38。本当に難しくて」と、開幕前からオーガスタの魔物におびえ、それは日に日に増していった。

「初日はなんとか2アンダーで回れた」。しかし2日目はガラスとも言われる高速グリーンへの警戒心がますます強まり、「僕はパットでショートなんかめったにしない選手なのに。恐怖で打てなくなった」と、79を打って予選落ちを喫した。

「これが最初で最後のマスターズだと思った」とは本人のみならず、師匠の芹澤信雄でさえ、そうタカをくくって、「いや、よく頑張った」とねぎらったものだったが不屈の40代は、2年越しに再び夢のチケットをもぎ取った。

「あのときの余韻を持ったまま、今度は自分らしくやれると思う」と、藤田は言う。
「マスターズは夢の舞台。前回は一瞬で終わってしまったけれど、前回の反省も踏まえてなんとか結果を残したい」。
そのために、今年はすでに3つの課題を自らに課してある。
まずひとつは「ティショットはできるだけ遠く正確に」。昨シーズンは序盤に早くも、出場をにらんで実践中もフェードボールを捨てるなど、取り組んできたことでもある。クラブの力も大いに借りながら、本番直前まで試行錯誤は続く。

さらに2つめの課題は「グリーン周りのアプローチ。芝の薄いライからでもサンドウェッジを使っていかに、スピンをかけていけるか」。
そして、最後はやっぱりパッティングだ。あの速さ、そしてアンジュレーションのグリーンに対して、いかに勇気を持って打ち切れるか。
「40代は、もう体力的にもきつくて、ほんと大変なんですけど。なんとか力を振り絞ってどこまでやれるか。挑戦していきたい」と、生き生きと語った。

翌23日には、師匠率いる“チーム芹澤”の合宿で、ハワイに飛ぶ。1週間、調整を重ねたあとは、いよいよ実践。世界ゴルフ選手権「アクセンチュアマッチプレー」で、今季初戦を迎える予定だ。
これもまた、前回の反省からその後は帰国をせずに、今回はアメリカにどっしりと腰を据えたまま、大会前週の月曜日にはオーガスタに入るつもりだ。

藤田がマスターズについて語るときに、よく「演じる」という言葉を使う。「あの舞台でいかに“演じきる”か」と。
「全米オープンなど他の3つのメジャーは純粋に、スコアや強さを競い合うといった競技性の強さを感じるのに比べてマスターズは例えると、能舞台のような。ここでおまえはどう演じるのかと問われているような。自分らしく演じきることができて、初めてよくやったと評価してもらえるような、そんな気がする。そういう意味でも、やっぱりマスターズは特別な試合」と藤田は言う。

2度目の舞台は、どんな演技で目の肥えたパトロンたちを魅了できるかも、ひとつ43歳の大きな課題である。
そして具体的な数字にも、一応はこだわる。「来年の出場権がある16位内に入れれば」と、藤田は言ったが実は、こちらは師匠からの厳命である。
「芹澤さんが、予選通過と言わずにどうせならそこを目指していけと。他の誰かに言われたら『何言ちゃってんの?』で流すこともできますが師匠から言われれば、それはしっかりと受け止めないわけにはいかない。非常にハードルは高いですが」と少し困ったように、笑った。

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