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日本プロゴルフ選手権 2009
野仲茂(のなかしげる)「僕にも運が巡ってくると信じているから」
4アンダーの66は、ボギーなし。2メートルから4メートルのチャンスをすべてモノにして、ピンチも外さない。
今週、練習日から持ち替えた「捕まるタイプ」のドライバーが絶好調で、フェアウェーもほとんど外さなかった。
前日初日はやむなく中止となったが、改めてこの日7時9分の2組目で第1ラウンドをスタートした野仲には、恵みの雨となった。
「朝は風がなかったし、昨日の大雨で今日はグリーンが止まってくれたから」と、ほとんどのホールでパーオンを決め、危なげなく初日を終えた。
先週のUBS日本ゴルフツアー選手権 宍戸ヒルズでツアー初優勝をあげた五十嵐雄二は3つ年上だがプロ同期で、今季からよく一緒に練習ラウンドする仲だ。
練習仲間の優勝は、他の選手から連絡を受けて、慌ててテレビで見た。
というのも野仲はその日最終日は7時30分にスタート。ホールアウトしたころは、最終組から一つ前の五十嵐がようやくスタートしたばかりで、しかも首位と4打差ついていた。
「まさか、勝つとは思わず…」。
早々にコースを後にして横浜の自宅に帰り、五十嵐が優勝争いを繰り広げていたまさにそのとき、子供と呑気に公園で遊んでいたのだ。
「五十嵐が勝ちそうだぞ」。
他の先輩プロの電話で慌てて家に戻ったのだった。
「出来ればグリーンサイドで祝福したかったけど…」と悔やんだが、感動のシーンはテレビからも十分に伝わってきた。
改めて今週、お祝いの気持ちを伝え、一緒に練習ラウンドを回った。
口数の少ない五十嵐は、ラウンド中に特に何を言うでもなかったけれど、「パワーはもらったと思う」。
初シード入りは、野仲のほうが先だった。2001年に、明暗を分けた。
その年、三井住友VISA太平洋マスターズは米国で起きた多発テロの影響で、本戦直前に来日できなかった海外招待選手がいて、当時ファイナルQTランク92位の野仲は滑り込みで出場を果たし、最終日に2位と大健闘。
シード権を手に入れた。
同じ年、五十嵐は三菱ダイヤモンドカップでプレーオフの末に2位につけ、シード当確と言われながらシーズンも土壇場で、出場権が与えられる上位70人から弾かれた。
しかし、2人の間に「違いは何もなかった」と、野仲は振り返る。
「五十嵐さんは、ずっと前からシード権どころか優勝していてもおかしくない実力があると言われていた選手でした。あのとき五十嵐さんが落ちて、僕がシード権を得られたのは、単なる運でした。誰にも運があり、チャンスがあり、それが来たときにちゃんと掴み取れたかどうかの違いだけ。僕は、あのときたまたま掴めたということなんだと思う」。
五十嵐は8年越しに、あのとき掴み損ねたチャンスをモノにした。
あれから6年間守り続けたシード権を2007年に失い、シード権の奪回に燃える野仲は五十嵐の初Vに、こんな思いを強くした。
「きっとまた、僕にも運が巡ってくると信じているから」。
先週の40歳のベテランの初優勝に多くの選手が励まされているが、やっぱり野仲もその一人だ。
感動は連鎖して、また新たなドラマが作られていく。