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上田諭尉が最後に語った「僕の夢」

大勢の子どもたちとご父兄のみなさんを前に緊張していたが・・・
2009年から始まったゴルフ伝道の旅。ツアーメンバーたちが、リレー方式で全国各地の小学校を訪ね歩いて、ゴルフの楽しさを伝えて歩く取り組みは、5月7日に三重県桑名市の大山田西小学校を訪ねた上田諭尉で、ちょうど30人目となったが、経験したほとんどのプロが「試合よりも緊張する」と声を揃えるのが、午後からの講演会だ。
上田も例外なく、朝からスタッフに「何を言ったらいいん?」「どうしたらいいん」「・・・変わりに喋ってくれん?」と、さんざん弱音を吐いていた。

今年は、開幕戦の直前に、名古屋市内で開催されたファンイベント。大ギャラリーを前に、上田もステージに立ち、トークショーを繰り広げたが「あのときは勇太も倉本さんもいてくれたので」。新・選手会長と、前・選手会長のリードに身を任せていれば良かったが、この日は隣に誰もいない。

「今日もみんながここに居てくれたらいいのに」と、本気で思った。
45分間も人前でたった一人で喋り続けるのは、初めての経験でただでさえ不安の中で、直前にはさらにプレッシャーをあおる事態が!!
当初は音楽室で行われる予定だった講演会が、きゅうきょ体育館に変更。保護者の方の参加が思いのほか多くて、場所を変えざるを得なくなったのだ。

「やめてやあ・・・」と、頭を抱えてしまった。
子どもたちだけなら、午前中のスナッグゴルフ講習会のように、同じ目線に立てばどうにか乗り越えられそうな気がしていたのに「お父さん、お母さんまで聞いているとなると・・・」。そうはいかない。
案の定、緊張してしまって「上手くしゃべれなかった」と、後悔しきりだ。

足が遅いのを苦にして野球から、ゴルフに転向した経緯や、プロ転向前のアメリカ修行時代など、自分の生い立ちを語るのもそこそこに、早々に質問コーナーに移ってしまったのだが、これが思いのほか盛り上がって良かった。

遠慮のない質問。「石川遼くんと回って勝てますか?」。「初優勝の賞金で、何を買いましたか?」。「・・・諭尉(ゆい)って、女の子みたいな名前をどう思ってますか!?」。

母親が名付けた。女の子が欲しくて、生まれる前から名前は「唯」と決めていた。読み方だけでも残したいと漢字だけは男の子らしくして、おさまった。「変わっているけどみんなももう、僕の名前は覚えてくれたでしょう? 一度聞いたら忘れない。この名前に感謝しています」と言いたかったことも、子どもたちのほうから、どんどん引き出してくれて助かった。

講演会のあとのサイン会で、自慢のその名前をしたためながら、子どもたちが口々に打ち明ける「僕の、私の夢」を聞いて安堵した。不慣れな講演会の中でも、「絶対にこれだけは伝えないかん」と自分に課していたのが講演会のタイトルでもある「夢を持とう」。そしてその意義。

いつでも夢を持ち、そのためにいま何をすべきか。「逆算して、考えること。そして少しでも夢に近づけるように努力をし続けること」。そこは、ちゃんと伝わっていたようだ。
「サッカー選手になりたい」と言う子。そのためにいま必要なことは? 「練習!!」と、すぐに返事が返ってきた。「お医者さんになりたい」と言う子は「勉強を頑張る!」と張り切った。

午前中のスナッグゴルフ講習会のラウンド対決で、ほれぼれとするスイングでプロと堂々と渡り合った空さんは・・・。「薬剤師になりたい!」。プロばかりか、これには太田校長先生も、早川教頭先生もずっこけた。
「プロゴルファーになりたいんじゃないの?!」。
プルプルと首を振った空さんには、ちょっぴり残念。「あんなに良いスイングをしているのになあ・・・!」。
でもいい。子どもたちが夢を抱き、前を向いて歩いていってくれるなら、なんでもいい。
さて、それでは最後に自分の番だ。「僕の夢は、世界の4大メジャーに出て優勝することです。僕も頑張るのでみんなも頑張ってくださいね」。
不器用なりに、言いたいことは全部言えた。
  • 段々、調子づいてきて、いつものおとぼけポーズも!
  • 子どもたちに頼まれて、手のひらのマメを披露
  • 最後のサイン会では口々に夢を語ってくれる子どもたちに内心ほっとした

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