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日本勢も続々と会場入り、手嶋と高山が練習ラウンド(全英オープン月曜日)
月曜日に練習ラウンドをこなしたのは手嶋多一と高山忠洋。手嶋は、スポンサーの期待を一身に受けての、聖地入りである。6月のミズノオープンで、1986年大会以来のホストVを飾って2002年に続く、3度目の出場切符を手に入れた。
ここに来る道中には、ヒースロー空港でターンテーブルから大事なキャディバッグが待てど出てこず、不安ではあったが欧州ツアーの参戦経験もあるベテランは、手慣れたもので「空港の手荷物担当には行かず、選手の送迎係の人に伝えて、あとでピックアップして持ってきておいてもらうように頼んでおいた」。
本人は夜8時に宿に着き、荷物はそのあと11時に届いた。「次の日、すぐにコースを回りたいと思っていたので良かった」と、13日月曜日に18ホールを回った。
「フェアウェイがこんなグリーンみたいになっているとは思わなかった。皆がよくグリーンの外からパターでころがしているのをなるほど、と。逆にアプローチの方が難しい感じ」と、久しぶりのリンクスコースをじっくりと見てまわった。
近頃は「ゴルフの調子は下降気味。なんとかして最大の目標は4日間プレーすること」と、聖地でミズノ所属の存在感を示したい。
高山もまた、手嶋と同様に空港で“ロストバゲッジ”した一人。高山は日曜日にすぐにコースを回りたくて、せっかく早めに現地入りしたのに、こちらのバッグの到着は、思いのほか時間がかかって、それでも「昨日は夕方5時にコースに来て、7時くらいまで練習場でボールを打った」と、やる気満々。
先月のタイでは、芝質に合わせてヤスリをこすり続けて、自らアイアンのバンスの調整に明け暮れた高山。「今週も削りたくなるような部分もちらほら出ている。今回はたくさんヤスリ紙を持ってきたので」と、久しぶりのリンクスコースでも、クラブ職人の腕が鳴る。
「前回は、ここで23位に入った」と、振り返るのは初出場の2005年。やはりセントアンドリュースでの初メジャーも「でもどうやって、ボールを打っていたのか記憶がない。それくらいにがむしゃらに、そうでないと結果が出せないと思って、プレーしていたのだと思います」。全英オープンはそのあと、2012年に2年連続出場を果たして4度目の挑戦。
「今年は初回以上の成績を。10位内に入れたら」。再び戻ってきたゴルフの聖地で高山が、“初心”を思い出す。
※第1ラウンドの組み合わせが発表されました。