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日本プロゴルフ殿堂の顕彰セレモニーを開催(2月16日)
2011年に大勢にゴルフファンに惜しまれながら、この世を去った杉原氏。
大阪府茨木市に生まれ、中学卒業後に茨木カンツリー俱楽部に就職。洗濯係から研修生となり、1957年に20歳でプロテストに合格した叩き上げである。練り込まれたゲームマネジメントと、たゆまぬ鍛錬で培われた技量と、コースでの粘り強さは海外のトッププレーヤーたちも一目置いたほど。
160センチの小さな体で積み重ねたツアー通算成績は28勝。永久シード選手に名を連ねたあとも、生涯現役を口癖に、1997年に前立腺ガンの告知を受けても、勝負の世界にこだわり続けた。
2006年のつるやオープンで、68歳311日の最年長予選通過記録を樹立。2010年の中日クラウンズでは、同一大会51年連続出場の世界記録も打ち立てた。
1984年に設立された選手会では初代会長をつとめ、プロゴルファーである前にまず人間たれと、若手の指導にも打ち込んだ74年の濃密なゴルフ人生だった。
この日の顕彰セレモニーには長男でプロゴルファーの敏一氏が参列し「これからは、親父と同じ優勝トロフィーに名前を刻むことが私の目標」との思いをまた新たにする1日となった。