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カシオワールドオープンゴルフトーナメント 2013
松山英樹が今季4勝で、史上最速の賞金王に【インタビュー動画】
数々の偉業もさることながら普段、無口な男が有言実行の地元V。龍馬も眺めた南国土佐の海を背に、無骨な男がニッコリと、「ここで勝って賞金王を決められた。それが凄く嬉しいです」。最終日は単独首位で出ながら、8番であっという間に3打差をつけられた。「勇太さんが本当に良いスタートを切ったので」。大学の7つ上の池田勇太が1番から怒濤の3連続バーディで猛追。そして逆転。「途中、少しつらかったですけど」。専属キャディの進藤大典さんはかたわらで「逆にそれで英樹のスイッチが入った」。松山も「それで逆に落ち着いたというか、負けるときは負けるし勝てる時は勝てる。我慢していればチャンスは来る」。
どんな不利な状況でも不動心。最後まで諦めない姿を身をもって後輩たちに示した。今週は大会のお手伝いでコースに散らばるジュニアは6年前の自分だ。高知の明徳義塾高校時代は部活動の一環で、松山も大会のボランティアを体験した。2007年には手嶋が勝った年に松山も、最終日最終組の移動式スコアボードを運んだ。「あのときはまさか自分がここで賞金王を獲るとは思っていない。でも自分もこういう舞台で頑張るんだ、とは思っていました」。
この日、松山の組を担当した上田仁くん。奇しくも松山と同じ愛媛県松山市出身の1年生はのべ800人余のボランティアの中からくじ引きで、松山の組に当たったことも何かの縁に「僕も、先輩を目標に頑張る」。また表彰式で、席を並べたのは大学の後輩。ベストアマチュア賞に輝いた東北福祉大1年の小西健太さんも、「いつか、自分も先輩とおなじ場所に立てるように頑張る」。
前夜は夕食を共にして、最終日は揃いの青いチームウェアでキメようと話し合った。そんな楽しい会話の中にも「先輩は、少し不安そうに見えました」。前週に痛めた左手。「違和感があって、上手くスイング出来ない。手を離す場面も多かった」と本人も振り返った手負いのV争いは、前半と後半とで1粒ずつ痛み止めを飲んでも「あまり違和感は消えなかった」と、右手1本で打ち立てた金字塔には「本当に、凄い先輩です」(小西さん)。
進藤さんと「来週は、ないものと思おう。今週、決めよう」と話し合ったのは、今大会の開幕直前。さらに遡ること、今年のデビューは開幕直前。大学の先輩でもある進藤さんが、バッグを担ぐことが決まったときに、松山はこう言って頭を下げたそうだ。
「今年は賞金王を獲りたいと思いますので、宜しくお願いします」。
新人が、そんな目標を立てることすらあまり例がないのに海外のメジャーも含めてわずか16試合で、しかも米ツアーとの両立でも有言実行を果たした心の強さ。「普通、本当にやりますか? でも英樹は本当にやっちゃうから凄い」と進藤さん。そして「このコースで本当に勝っちゃうのも信じられない」。
ここKochi黒潮カントリークラブは「中2から、高校3までお世話になったコースなので」と松山。当時は週1で回った。「昔からあいつはゴルフさえ出来ればいいという男だった」とは高橋章夫・明徳義塾高ゴルフ部の前監督。お洒落や恋に目覚めるお年頃も、そんな同級生たちを脇目も振らずに黙々と練習したという。雨の日も、風の日も欠かさなかったという早朝のランニングは、今でも母校の語り草だ。今週は火曜日に、須崎市内の母校を訪れ後輩を激励した。恩師への挨拶回りも忘れず「校長先生とも楽しそうに話していた」と律儀な先輩の姿を上田くんも目撃していた。「お世話になった場所なので。勝ちたかった」と松山は言った。賞金王も、青春時代の思い出が一杯につまった第二の故郷で決めたかった。一度定めた目標はたとえ手が痛くても、相手が先輩でも絶対に譲れなかった。
池田に3打差つけられ火がついた。9番からピンそばの連続バーディで応戦。13番は、150ヤードの2打目を9番アイアンで奥50センチにくっつけた。16番は、池田のボギーでついに再び並んだ。そして土壇場の17番で、逆転成功。手に汗握るV争いもまとめて愛する地元に精一杯のご恩返しだ。
表彰式で無骨な笑顔を振りまく優勝者に、遠慮のないヤジが飛ぶ。「なんだ、うまく笑えるようになったじゃないか!」。東北福祉大の阿部靖彦・ゴルフ部監督。「あいつ、春先はムスっとしていたのに、今日はニコっとしてトロフィー持ってる。変われば変わるもんだ」と、恩師も苦笑いで振り返ったプロ初Vのつるやオープンからの8ヶ月。
話すのがあまり上手ではなく、ぶっきらぼうな物言いに、当時は監督ばかりかジャンボや青木までもがもの申した。全英オープンでは遅延プレーで罰打も言い訳はひとこともせずに、メジャーで黙って2戦連続のトップ10入り。周囲の期待も雑音も、ひたすら淡々と結果で応え続けて、いま本人もしみじみと思うことは「いろんな方々に支えてもらったから、今年はこんなにたくさん勝つ事が出来ました」。記者会見で何度も繰り返した言葉は不器用でも、心からの感謝の気持ちに満ちていた。
ひとつ偉業をなしとげて「結果は100点以上」と珍しく自画自賛も、10月に立て続けに起こした体調不良や故障もひとつ、来季への大きな反省材料として「ここで内容にも満足してしまったら、メジャー優勝というものはない」。史上最速の賞金王という肩書きも、さらに高みを目指す者には世界に飛び出していく際の名刺代わりにしかならない。「メジャーに勝ったのなら内容も良かったと、言ってもいいかなと思いますけどまだ勝ってない」。伝説は始まったばかり。これからも黙々と松山は行く。
※過去の2億円越えはジャンボ尾崎が94年に19試合で2億1546万8000円と、96年に17試合で2億964万6746円。伊澤利光が01年に海外3試合を含む19試合で2億1793万4583円。今回、松山は海外3試合を含む16試合での偉業達成だった。