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日本代表が帰国

ばっちり代表のジャケット姿で帰国した池田に対して、片山が半袖姿で帰ってきた訳は・・・
112年ぶりにゴルフが復活したリオ五輪で、日本代表をつとめた2人が17日に、揃って帰国した。関係者に横断幕の出迎えを受けた羽田空港で開かれた帰国会見で、池田勇太は「何も持って帰ることが出来なかった。誠に残念な気持ちで一杯」。

それどころか片山晋呉は、大事な記念の品を無くしてきた。選手団が、移動の際に着用する揃いの公式ジャケットは、爽やかなブルーに白のストライプ。左胸には国旗と五輪のエンブレムがあしらわれている。
出発前の空港では、それを羽織って誇らしい気持ちで旅立った片山だけに、なおさら無念さと、申し訳ない気持ちで一杯。

「フランクフルトで忘れてきてしまいました。すいません・・・」。経由地のドイツで乗り換えの際に、機内に置き忘れたようで最後の最後まで、残念な結末になってしまった。

皇太子同妃両殿下もご臨席された出発前の選手団の結団式では「僕の心に化学反応が起こった」。特に、橋本聖子・選手団長の話しを聞きながら「本物の人が、本物の場所で、本物の人たちに話すのを聞いてとても湧き上がるものを感じた」。
池田は出席できなかったが、片山は早々に渡航して開会式にも参加することが出来た。入場行進で、旗手をつとめた右代啓祐さんが国旗を運ぶ様子に「日本人で良かったなあ」と、噛みしめたものだ。
「心にしみるというか、今まで味わったことのない感動や気持ちを持った。その余韻のまま試合でも、よい成績を出したかったが」。

いざ、本戦で背負った日の丸は「重かった」。
つききりで、そのプレーを見守った倉本昌弘・強化委員会委員長は、同席したこの日の会見でも「片山があんなに緊張しているように見えたのは初めて。地に足がついていないというか」と振り返ったとおりに、過去5度の賞金王は、自身もみごとに五輪の洗礼を受けたと認めた。

「かなり緊張というか、浮き足立ってました。カチカチとは違うんだけど、なんかおかしくて。2番くらいまでは浮き足立っていました」と初日に出遅れたまま、最後まで普段のペースを取り戻すことが出来ずに、出場60人のうち54位と「残念な結果となってしまいました」と、恐縮しきりだった。

一方の池田も、「戦いだすと、スイッチが入ってモチベーションが高まっていったのは、なにかそういう力があったのだと思う。学生時代に日本を背負って戦ったことを思い出した」という。
倉本には「8位入賞、メダルにも十分メダルが届くところにいたと思う」と太鼓判を押されながらも、最終日は後半の失速で、結局21位に終わった池田も「熱い気持ちと悔しい気持ち。どちらも普段のそれとは何か違った」。
もともと感受性の強い選手はメダルこそ、持ち帰れずとも独特の空気感を味わい尽くして帰ってきた。

池田も、片山も、倉本も、日程は女子ゴルフを残してヘッドコーチとしてまだ現地にいるヘッドコーチの丸山茂樹も、それぞれに次の東京五輪に向けた課題を感じ取り、持ち帰り、必ず生かすという思いは同じだ。

「オリンピックでのゴルフというものの価値が初めて分かって、皆さんも興味を持ってくれたと思う。今後はその価値を向上させて保っていくことが大事でそのために、4人でしっかり意見を出さなければならない」と、池田。
片山も「最終日は多くのギャラリーが詰めかけ、テレビの視聴率も良く、それをまた東京でも引き継いでいけるように力と智恵をしぼっていきたい」と、ゴルフで最初に日の丸を背負った者として、その使命に燃えている。
「我々が先陣を切って2020年に向けて、伝えていかなければならない」(池田)。
リオに置き忘れてきたものは、どんな形であれ4年後の東京で取り返す。

  • JGA永田圭司オリンピックゴルフ競技対策本部本部長と、JGTO常務理事兼事務局長の秋元恒朝より代表2人に労いの花束が贈られた

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