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全英オープン最終日
最終日はスタートの1番で、いきなりダブルボギーの幕開けも、五輪の日本代表は「今日はボギーを打とうが、ダボを打とうかその場で切り替える。開き直った」。次に控える大舞台に備えるためであった。
1週空いて、すぐに全米プロがあるがこのままいったん帰国して、スーツケースを詰め替える。さらにその次のリオ五輪は、代表選手のコスチュームやバッグ、小物を持って入らなければならない。「荷物10何個になるって」。大荷物の過密スケジュールは立ち止まって考えていたのでは、とてもこなしていけないと池田は考えた。
今年は全米オープンから始まって、メジャー3戦に参戦するのは、マスターズから全米オープン、全米プロに出た2011年以来となるが、今回は「久しぶりに全米に行ってやったことが、全英に来てつながって、この全英でまた新しい収穫があって、それをまた全米プロにつなげていけばいいし、繋げていかなければ意味がない」。
また、メジャーで過ごす週末は、やはり2011年のこの全英オープン以来となるが「ずっと日本でやっていたのがこちらに来て、スコアどうのこうのじゃなくて、昨日今日と苦しいのやって得たもの。昔の自分のプレースタイルが、こういう風に違っていたとか、そのときの自分の表情であったり、そういうのに気づかされた」と、久しぶりにメジャーの空気感に浸りきる中で、池田なりに思い出す感覚があったようだ。
「4日間で、はい終わりじゃなくて、とにかく良い状態で、何かしら次の試合につなげていく。それを反省してまた次、どうか」。
メジャーで初の決勝ラウンドに進んだ市原弘大は、最終日のこの日はついに、バーディが一つも獲れないまま終わったが、それもまた、攻め続けた結果だ。
通算18オーバーは結局、ブービーに終わって「悔しいけれど、また来る意味が出来た」。
タイで行われたアジア予選を突破して、初出場を果たした2012年はあっけなく予選落ちをした。2度目の今年は感泣の決勝進出も、もはやあの涙もすっかり乾いて、市原は現実を見つめていた。
「今回は通れたけど、一番下で通って一番下で終わって次どうしよう?と考えるほうが、僕らしい。20位とか30位とかで終わっていたら、それがボケちゃっていたと思う」。
4日間を過ごしたリンクスコースでは、「こういう天候の中で、もっと技術の幅が必要と分かった」と、課題もたくさん拾えた。
「こういうところは続けて来ないと結果はついてこないと思うし、これからまたアジアとか、いろんなところで自分の力にしてここに戻って来たい」。
日本でも、こだわりのアジアンツアーでも、まだ未勝利だ。
「ここに最高の形で戻ってくるのはやはり、ワールドランキングに入っていくこと。そのためには優勝も必要だし、そういうことのために優勝したい」。
2度目のメジャーは34歳に、目標達成への思いをより強くさせた。
優勝は、ヘンリク・ステンソン。14、15番では下の段から10メートル以上をねじ込んだ。さらに16番で3連続バーディを奪ってフィル・ミケルソンに2打差をつけた。迎えた18番では、7メートルのバーディトライをウィニングパットにした。
当時もやはり、ミケルソンと争い3打差の2位に敗れた。前日3日目の会見でも「今度は絶対に負けない」と話していたステンソンは、2013年の際の借りを返した。
通算20アンダーは、セントアンドリュースの2000年大会の同19アンダーを抜いて、全英オープンの最多アンダーパー記録を更新した。スウェーデン人として、初のメジャー制覇を「誇りに思う」と喜んだ。