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レオパレス21ミャンマーオープン 2016
2試合連続の推薦出場! 丸山大輔が語るミャンマーでの苦い記憶
最初の訪問は、まだ日本ツアーの出場権がない頃に、アジアンツアーを回り始めた16年前。「今でも覚えている」。大会が始まった瞬間に、見舞われた強烈な腹痛だ。
「人生で、一番痛かった」。発症初日は、あまりの痛みに一睡も出来なかった。
寝不足のまま、当時のミャンマーでは高級品の輸入物のミネラルウォーターを買い込み、「その水だけ持って、回りきった」。苦しくて仕方なかったが、「なんとかやらなきゃいけない。せっかくビザまで取って、ここまで来たんだから」と執念で、どうにか予選通過を果たした思い出だ。
会場は今回とは違って、今や名門の「ヤンゴンゴルフクラブ」だったそうだが「あのときは、キャディさんがビーチサンダルで回っていて。なぜか、グリーンでは脱ぐんですよ。グリーンエッジで揃えて、裸足で上がって。次のホールに行ってもまだ履いないから聞いたら“あ、忘れてきた”だって」。
当時の見聞録を、懐かしそうに振り返りつつ、この日は8番で10メートルのパーパットをしのぐなど、ボギーなしの69でまとめて、通算6アンダー。
「去年はシード落ちしてしまったし、明日はもっとバーディを獲りたいですね」。
2000年の台湾PGAと、やはり共同主管で行われた2009年のパナソニックオープンと合わせて、アジアで2勝の経験もある。馴染みの舞台でせっかく頂いたチャンスを生かして、ミャンマーでの苦い記憶を塗り替える。