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竹谷に続け・・・!!
この強化合宿の正式名称「JGTOゴルフ強化セミナーin宮崎フェニックス・シーガイア・リゾート」は、開催地の地元の甲斐慎太郎とともに、3年前の第1回から参加している。「この合宿では俺ら“シード選手”ですから。ね、竹谷さん?」と、無邪気に言う2つ下の甲斐の隣でニコニコと、「やったらやった分だけ返ってくるものがあると信じて取り組んできました」。
合宿の講師の一人で、人間の体には4つのタイプがあるとされる「フォースタンス理論」の提唱者でもある廣戸聡一先生も、“教え子”の成長に目を細める。3年前とは明らかに体力も、安定感も、見違えた竹谷。ましてこの合宿で得たものを、ただ鵜呑みにするだけではなく、自分なりにかみ砕き、本当に自分に必要なものを本能で選り分けて、地道に努力を重ねてきた。「彼の姿からは、明らかにその後が見えるんですよ」(廣戸先生)。だから、誰もが合宿初日からさっそく悲鳴をあげるトレーニングも、3度目の今年はもはや、つらくない。
むしろ、今では誰よりも軽々と高く飛び、誰よりも早く走れる。そして、そんな3年間の成果のひとつが昨年の「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」でのツアー初優勝であったことは、間違いないが、真価はそのあと。
「竹谷選手は初優勝のあとも、中だるみをしなかった。優勝して、自分の感覚をより信じることが出来たことで、そのあとも自分のペースを守り通すことが出来た。残り半年も頑張れた」。その後も再三の優勝争いで、賞金ランク10位に食い込んだことこそ昨季の竹谷の真骨頂だったと、廣戸先生は評価された。
「コツコツと頑張っていれば、何か必ず得るものがある」と、誕生祝いのお礼を述べる中で、そんなことを竹谷も言ったが、ひとつ成功例をおさめた者の言葉は重い。
実際に、竹谷のメジャー制覇の一報が、どれほど仲間を勇気づけたことか。甲斐は竹谷の初Vのその翌週に、チャレンジトーナメントの「LANDIC ゴルフトーナメント2014 アソシアマンションメモリアル」で1勝したし、竹谷の4つ上の沖野克文は「石川遼 everyone PROJECT Challenge Golf Tournament」に勝って、今季ツアー前半戦の出場権を取り戻した。
沖野はこの“宮崎合宿”にも、今年初参加を決めて、若手に混じって汗を流す。例年、オフは生活費を稼ぐための“レッスン業”が忙しく、昨年、一昨年ともスケジュールが合わなかったがツアーへの本格参戦を決めた今年は存分に、開幕準備に時間を充てられる。
前日27日は、夜の講義で大収穫もあった。廣戸先生に前に出てくるように言われて、戸惑いながら椅子に座った。不惑を目前に、体にもガタが来始め近頃では特に、右足に痛みが出ていた。廣戸先生の診断によると、長年の競技生活で土踏まずに変形が起きており、そこをかばって無理をするうちに、スイングにも支障をきたすようになったのだ、と。解説を加えながら先生に体を触られているうちに、痛みはうそのように消えていた。オマケに「試合中でも自分で治せるように」と、再び痛みが出た際の応急処置として、テーピングの正しい巻き方まで伝授され、感謝しきりだ。
実は今回、この合宿も沖野は早初日の段階でギブアップしそうになっていた。いきなり、慣れないトレーニングメニューをこなして、もともと痛めていた膝の痛みが強くなり、「本当なら今日にでも、根を上げているところでした」。それが廣戸先生の治療で「あれよあれよと消えていって」。3日目のこの日はトム・ワトソンコースでのラウンド実習も、つらいのはもっぱら筋肉痛だけで、難なくこなせた。竹谷の言葉は本当だった。
「合宿に来れば、本当に、必ず何か得るものがあるんですね」。
「・・・でも去年、俺が勝ってなかったら、沖野先輩は、今年も合宿には来んかったでしょう?」と竹谷に突っ込まれて「いや、去年も本当は来たかったけど、どうしても来れんかったんだ〜って!」と、トレーニングの合間に後輩と、そんな押し問答も、なんだか楽しい。
沖野克文、39歳。合宿のサブタイトルには「オリンピックを目指して」とあるが、「俺のような年齢になれば1年1年、生き残るので精一杯。優勝とかも、そんな大きなことは言えません」と控えめだ。「俺なんかはそれこそ今年が最後になるかもしれないと、そういう覚悟を持ってやらにゃいけん」と故郷の広島弁で、「でも、そういう覚悟をしているからこそ、今年も頑張れるというのもあるんじゃけぇ」と、そんな劣等感一杯のコメントも、そういえば竹谷も昨年の今頃は、沖野とおんなじようなことを喋ってたっけ。