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僕らのツアー選手権 / 竹谷佳孝の選手権

不屈の男。2人目は、竹谷佳孝。
14年大会の優勝から、6年経たいま、竹谷にとって「ツアー選手権」とは?

栄光の架け橋です」。

説明するまでもなく、人気デュオ「ゆず」さんの代表ソング。
”日本タイトル”によるプロ9年目のツアー初優勝は、プロを目指した18歳から数えて苦節15年目。
「あきらめそうになった時もあったけど、たくさんの失敗と経験を積み重ねて到達できました」。

野球の部活時に、腰痛で気を失い救急車で運ばれたのは、地元山口県の宇部鴻城高校2年時。
選手生命の危機は、肘を痛めた中学時にもあり、当時は死に物狂いのリハビリで切り抜けたが、この時ばかりは2か月の入院後についに野球を断念。

父親の勧めでゴルフに転向し、卒業後はゴルフの専門学校へ。
在学中は、クラスメイトと「24時間耐久ゴルフ」と称して徹夜で打ち込むなど、練習の虫だった。

広島県内のゴルフ場で研修生となり、06年にプロテストに合格したが、酷使尽くされた身長169センチの体はすでに悲鳴を上げていた。
デビュー後も、手首や肘、膝、首…と、ありとあらゆるケガに苦しみ続けた。

「それでも耐えて、耐えて、耐えてコツコツと、地道に頑張ってこられたのは、何より応援してくださる方々、良き理解者の方々のおかげです」。

プロデビューは07年。その3年前に発表されたゆずさんの楽曲が、まさに重なる応援歌。
「もう、だめかもしれない」と、今まで何度思ったか。
挫折と傷だらけの人生が、実は「栄光の架け橋」だったと思わせてくれたのが、「選手権」での初優勝だった。

「プロゴルフというステージに立ち『ツアー選手権』というメジャー大会で優勝できた。私にとって唯一無二の思い出です」。

5年シードを獲得したが、17と18年には賞金シード落ちを喫した。
昨19年には、いよいよ5年シードの最終年度を迎えて、終盤戦で薄氷の賞金シードに復活。
不屈の人生は、まだ続く。

「これで終わりでなく、これからも続いていく。続いて欲しいという思いを大好きなこの歌の題名に込めました。『ツアー選手権』は、もう一度欲しいタイトルでもある」。

今年はあいにく、来年度への開催持ち越しが決定したが「難しい判断の中で、決断してくださったスポンサーや関係者のみなさまに、感謝申し上げます。また、未知のウィルスと最前線で闘い続ける方々に、心からの敬意とエールをおくります」。
今度はお世話になっている方々に、応援ソングを捧げる。
苦労を知っているから、他者への思いやりに溢れる。
今年40歳になった不屈の男は、じっと好機を待つのも慣れている。

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