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東建ホームメイトカップ 2017

あの頃は若かった…藤田寛之が47歳で挑む大会2勝目

この国内開幕を目前になって、またスイングを色々いじり始めたら例のごとく迷路にはまって、師匠に心配された。

「芹澤さんに“どうしたんだよ、もう始まるのに”と」。今年も不安ばかりを抱えて迎えた新春。
「今ここにいることが、不思議」と、首位と2打差の優勝争いのど真ん中で、相変わらず首をかしげている。
「自分らしいっちゃ自分らしいんですけど」と、苦笑した。

「今日も8番で、グリーンを外して左手前から、50センチに寄せてパーとか。11番で右バンカーから上1メートル半の下りスライスを入れたりとか。拾いながら、少ないチャンスをモノにしている」。

3番では12メートルのバーディトライが決まった。
「昨日から7、8メートルのが5、6個入ってる。その分の差」。
このオフは、夕方4時半から5時半はパター練習の時間と決めて、所属コースの葛城ゴルフ俱楽部で黙々と転がした。「以前はパターマットで十分だったがこの年齢になるとリアル芝、…現場でなくてはダメなのかな、と」。
ひたむきな努力も相変わらずだ。

その分、ショットで打つ球の数は「減らさざるをえなくなった」。これまでは、1日700から800球は優に打ったが、「今は300球も打てば十分」。47歳。シニア入りの歳を間近に迎えて、今はやめる勇気の連続だ。
「もういいんじゃないの、と。そうでないと気力も、体力も続かない」。
コースでも妥協することが多くなった。絶対許せなかったミスも許容範囲が広くなった。
「左が嫌なら左さえ、行かなければいいや、という」。技術でなんとか、という若い頃の意地も、昔よりは格段に、緩くなった。

この日は今年から、“チームヤマハ”に加入したばかりの今平周吾と同じ組。以前なら、「若いやつには負けない」と、しゃかりきになったものだが「今は下手すれば、自分の子どもといってもおかしくない子たちに“負けたくない”って、そういうのはもうやめましょうよ」と、言って笑った。

「それより新しいクラブは合ってるのかとか、もうちょっと、周吾は体が太くならないかな、とか、もうちょっと頑張れよ、とか…」。
そういう意味では、日本勢として最上位にいるのがこの自分であることが、もどかしくて仕方ない。
「負けたくない、より“俺に負けててどうすんの”って」。ついまた、説教モードになる気持を懸命にこらえつつ、親心で若手を見ている。

この国内開幕戦を制したのは、2004年。「もう13年も前のこと。髪も長くて若かった」。昔をなつかしむことも増えた47歳は、「よれよれ。優勝なんておこがましい」と言いながらも「最終目標はそこ」と、気力を振り絞って最終日のV争いに臨む。
「もういいんじゃないの、という自分勝手な自分に“まだまだ”と、言ってくださる周囲に励まされてここにいる。応援してくれる人、支えてくださる方と、共に喜びと感動を分かち合いたいと、それを胸に最終日を回ることになる」。
勝てば大会2勝目。13年前とはまた趣の違った美酒になる。

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