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日本オープンゴルフ選手権競技 2018
単独首位は20歳のアマチュア!!
この時期の午後5時はもうすっかり薄暗い。2メートルのパーパットをしのいで握りしめたガッツポーズを、投光器の薄灯りが照らした。
日大2年の桂川有人(かつらがわゆうと)さんが、初出場の日本ツアーで単独首位に立った。
2アンダーから出たこの日は用心のために、いったん宿をキャンセルして出かけた。
「今日は、予選通過が目標でした」。
イーブンパーで折り返した後半の11番は、長いパー4で2打目をディボット跡に入れてボギーを打って少し慌てた。
「ここからは、絶対に落とせない」。
スイッチが入った。
「12番から自分でも、信じられない展開が続いた」。
2メートル半のバーディを沈めてから、並み居るプロも目を剥く猛ラッシュを始めた。
「僕的には13番で、10メートルのスライスラインが入って、そこから流れが変わった」。
予選カットの恐怖から解き放たれると「気持ちが楽になった」と、14番では5メートルのイーグルチャンスが決まった。
さらに15、16、17番と立て続けにカップに沈める様は、上がって、慣れないテレビ会見に臨んで、たくさんの人たちから賞賛を浴びて、戻ってきたクラブハウスで迎えてくれた大学の先輩、今野大喜さんの言葉が言い得て妙だった。
「ユウト!! すげえな。みんゴル見てるみたいだったぞ!」。
「みんなのゴルフ」。通称「みんゴル」。
まるで、ゲーム機みたいなゴルフは他にも覚えがある。
今大会の出場権がある今年の日本学生でも2日目に「60」を出して優勝。
「僕は、ティショットをバフィーで刻んだり、バーディを獲るよりもどちらかというと、ボギーを打たないゴルフですが今日も6連続が獲れたり、変わってきているのかな?」。
ゴルファー日本一を決めるこの舞台がちょうど過渡期と重なったか。
「今日も、攻めるようなマネジメントはしていない。どうやってパーを取るかとやったらこの結果が出た」。
シングルハンデの祖父・征男さんの手ほどきで、物心もつくかつかない「3、4歳頃から」ゴルフを始めた。
地元愛知県の西枇杷島(にしびわじま)中学時代に、ジュニアの試合で好成績をおさめると高校3年間は、お母さんの許しを得て単身フィリピンでの“ゴルフ留学”を決意。
知人のクラブ職人を頼ってすぐ隣がゴルフ場という恵まれた環境で、存分に腕を磨いた。帰国して、昨年進学した日大では初年度から顕著な成績を収めるなど、いま成長の真っ只中だ。
昨年は、東北福祉大1年の金谷拓実さんが、池田勇太と争い、第1回大会は1927年の赤星六郎氏以来となるアマ優勝の一歩、手前まで行った。
「金谷さんは、あこがれの選手の一人。僕も金谷さんのように、日本オープンで優勝争いしたい気持ちはあった」とそれはいきなり初出場で、現実のものに。
上がってすぐに、慌ててこの日の宿を確保した。
単独首位にも「気づいたら、トップに立っていたという状況なので・・・。まだ実感はありません。今日は、予選通過が出来ればと思っていたので・・・」。
いよいよ、大会は91年ぶりの偉業なるか。
週末の目標は改めて、予約したホテルで今晩ゆっくり考える。