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青木と池田が「“でかけよう北海道”の集い」に参加
日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長の青木功と共に、池田勇太が10月15日の月曜日に、都内のホテルで開催された「“でかけよう北海道”の集い」に出席。
義援金と共に、愛する北海道への思いを、関係者のみなさんに届けることが出来た。
当地を大地震が襲ったのは、先月6日。一報は、そのとき埼玉県で「ISPSハンダマッチプレー」に出ていた池田のもとにも届いた。
北海道には友人、知人もたくさんいる。
すぐに安否確認に奔走しながら、戦いを続ける中で、その翌週に控えた「ANAオープン」の開催中止がきゅうきょ、決まったのは、その翌日の金曜日だった。
主催のANAの契約プロ。「ホストプロとして、またディフェンディングチャンピオンとして、翌週には北海道でまた戦えるとワクワクしていた矢先に中止が決まった」。
もちろん、残念だった。
「マッチプレーは、準決勝まで行っておりましたが、中止が決まった途端に負けて。私は結局4位に終わりました」。
それくらいにショックを受けた主催者の決定は、しかし翌週末に放映される予定だった大会中継の代わりの特番撮りのために、現地に入った際に安堵と感謝に変わった。
開催コースの輪厚からそう遠くない町で、何が起きたか。変わり果てたその様子を池田は見てきた。
「もしも予定どおりに試合を開催したとして、果たして私は輪厚の1番で、ティを刺して平気でプレーが出来たのか。主催者のみなさんの苦渋の判断を、僕ら選手は感謝すべきでないか、と。大きな決断を、早々に下してくださったANAのみなさんに、改めてお礼を申し上げたい」。
そればかりかこの日は、国土交通省や観光庁、自治体や旅行社などいっそうの連携を図り、北海道の復興支援と活性化を推し進めていこうと、こうして関係者が一同に介して気持ちをひとつにする場を設けてくださった。
大会を通じて義援金を拠出したANAのみなさんと、足並みを揃えてJGTOと、ジャパンゴルフツアー選手会も「北海道の方々のお役に立ちたい」と、合わせて1100万円の支援金を青木と共に、届けに伺う機会を頂戴した。
「本来ならば、石川遼もこの場でご挨拶すべきですが選手会長は、昨日まで日本オープンで頑張っておりまして。私は、金曜日で予選落ちをしまして代行ということで、くれぐれもみなさまによろしくお伝え下さいとの選手会長の伝言も預かって参りました。ここに、紹介させていただきます」と自虐ネタを織り交ぜたスピーチで、参加者のみなさんを和ませた。
また大会中止の翌週には「アジアパシフィック ダイヤモンドカップ」でツアー通算20勝目を飾った。
「前週に、北海道に行ってみなさんの気持ちを背負ってプレーが出来たから、勝てたと確信しております」と壇上で、感謝のV報告をすることも出来た。
残念ながら、今年は中止となったが「来年のANAオープンも、私はホストプロのディフェンディングチャンピオンとして、プレーが出来ます。こういう形は初めてです」。
来年大会で改めて、1年越しの連覇を狙って立つのが楽しみだ。
「来年は今年の分、2倍の盛り上がりを作れるようなそういう大会にしたい。ANAならびに関係者のみなさんのお力をお借りして、来年こそ北海道を元気にするような大会にしたい」と誓った。
今年の残りシーズンも、熱い思いで突っ走る。
「我々スポーツマンとして、プロゴルファーとして出来ることは何か。ゴルフを通じてみなさんに笑顔を届ける。そういうことを、常に心に思って12月のシーズン最終戦まで頑張ってまいりたいと思います」。
そして、今シーズン終了の折りにはまたいち早く、北海道のみなさんに会いに行くつもりだ。