記事
藤田寛之が「僕も、もう少しレギュラーで頑張る!」(ジャパンゴルフフェア)
師匠主催のハワイ合宿からいままさに、帰国してきたばかり。「昨日は夜中3時に目が覚めました」。時差ボケの体を引きずって駆けつけた。東京有明の東京ビッグサイトで行われていた「ジャパンゴルフフェア2016」は、21日の最終日に我らがJGTOブースに来てくれたのは、藤田寛之。
この日のトークショーは、いきなりレッスン会からスタートして、ウォーミングアップもしないまま、いきなりのデモショットも、昨日の弟弟子より飛んでいた?!
藤田も試合会場には必ずこれを忘れない。飛距離やヘッドスピーのみならず、弾道やスピン量などが瞬時に確認できる「トラックマン」で、48.4m/sに対して283.3ヤードを記録。昨日の宮本さんは、260ヤードくらいしか飛ばなかった」と、司会進行をつとめるJGTOの小山和顕の証言にも「・・・宮本さんは、当たりが悪かったんですかね?」と、謙遜しつつも、飛ばし屋の弟弟子を凌駕出来れば、長旅の疲れも吹き飛ぶ。
飛行機の中で、カチコチだった体も次第に動きはじめて熱血指導。埼玉県の大宮から来てくれた11歳のジュニアも、藤田のたった一声で、見違えるようになった。
アプローチ合戦で、やにわに割って入ったのは小3の生出莉子(おいでりこ)さん。あっさりと藤田の記録を抜いて、2個のサインボールをさらっていった。「負けちゃいました」と、昨季は得意なはずの小技の中でも特にパットに精彩を欠いて、とうとう勝ち星もないまま、賞金ランク31位は、2001年から数えて自己ワースト記録に、「今年は」と、気合いが入るはずのシーズン初戦も惨敗した。
「SMBCシンガポールオープン」と、「レオパレス21ミャンマーオープン」は、本当に藤田にしては珍しい2週連続の予選落ち。昨年末に、5日間も隔離をされた。「溶連菌感染症って、子どもたちに間で流行るらしいんですけど。僕はそれにかかって。本当に何も出来なかった」。病み上がりの海外2戦は案の定、「ばらばらで、散々でした」と、ハワイでも懸命に立て直して返ってきた。
芹澤には「今から7、8年前に言われたアドバイスを、今回また本当に久しぶりに言われた」という。
弟弟子の宮本には「あの人、何にもしない」と、文句を言われた。「うちのトレーナーに、そう言ってたらしいんですけど、今回は宮本君との相部屋で、自分も持っているのにすぐに“鍵は?”と言って宮本くんに開けさせたり。宮本君は僕のパンツも洗濯してくれて、畳んでくれて、至れり尽くせり。本当にいい人です」。こう見えて、根っからの九州男児はチームの絆に改めて、感謝しきりのこのオフだ。
今年の6月に47歳。「アメリカではマキロイやスピースと10代、20代の選手が大半で、僕らの年代が引っ張っているようなツアーは世界中探してもどこにもない。日本は世界に置いてかれてる」と、今年もまた力説しつつも、勝てないまま終わった昨年を反省して「僕も今年は最低1勝をして、賞金ランク20位内にはいたい」と、まだまだ負けない。
弟弟子にも頼まれている。「いつも一緒に練習してご飯を食べている宮本君には、“シニアには、一緒に行きましょうよ”と。僕は彼の3つ上なんですけど“藤田さんには50歳になってもそのあと3年は頑張って欲しい”と。だから僕ももう少し、レギュラーで頑張らなくちゃ」。
もはや家族よりも一緒にいる時間が長くなった。「相棒というよりも、兄弟というのに近い」という弟弟子との約束を守るためにも、まだまだ第一線で走り続ける。