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武藤俊憲が益城町にトップ杯東海クラシックの特別賞を寄付(2月15日)

12日の選手会長に続いて2月15日に、大地震から丸10ヶ月の熊本に入ったのは武藤。益城町立広安西小学校のみんなは元気いっぱい。「プロは何個勝っとるん?」。遠慮のない質問に、目をシロクロと「6回!」。ツアー通算6勝。トータルドライビングで3度のランク1位はまず手始めに、校庭でのスナッグゴルフ講習会で、飛んで曲がらない男の真骨頂を見せつけた。

校庭から見上げる阿蘇山に向かってパッカ〜ン!!
「すっげぇ〜〜〜!」。
自身も小学4年と2年の2人娘の父はたちまちヒーローに。背中によじ登られ、腕にぶら下がられて「自分の娘にも、こんなに構ってもらったことはない!」。

スナッグゴルフの寄贈式で、児童代表の挨拶をしてくれた3年1組の塩田莉央さんは、ゴルフをやったこともあるらしくて、この日のレッスン会もさっそく大いに盛り上がる予感。

1組の田上大登(たのうえやまと)くんと、2組の舛田知駿(ますだちはや)くんとのガチンコ勝負は、あわやホールインワンのティショットを打ちながらも、プロが勝ちを譲った田上君の担任の福住正昭先生は、偶然にも永野竜太郎の4年時の恩師であり担当クラスから、また地元のヒーローが生まれる予感?!

武藤には、2005年のファイナルQT以来の熊本。スポンサー2社が絶好のチャンスをくれた。昨年10月のトップ杯東海クラシック。15番のイーグル賞100万円は「本当におまけみたいなものでした」。4メートルのチャンスは「完全に読み違えたというのが入った」と実感ゼロで、しかもそのイーグルが、まさに一攫千金。トップ提供の「アグレッシブ賞」の獲得ポイントをも稼いで、これまた賞金100万円は、本当に棚からぼた餅の計200万円。本当に予定外のビッグボーナスは、「この形が一番良いと思った」と、表彰式のその場で提供2社の社長さんに、熊本へのチャリティの快諾をとりつけた。

益城町教育委員会の酒井博範・教育長も武藤の心意気を大変喜んでくださって、このほど給食を運ぶ保冷車と保管庫の購入を決めて、この日は車両にデカデカ印字された「武藤俊憲号」のデザイン案を嬉しそうに見せてくださった。
子どもたちのすこやかな成長と健康を気遣う武藤にとっても、何よりの贈り物ができたと満足だ。

午後から視聴覚教室で開いた講演会で、武藤が一番に子どもたちに伝えたかったことは、夢が持つ偉大な力のこと。
何回、プロテストに落ちても、QTで失敗しても、23歳でようやくプロ転向から初優勝まで5年もかかっても、さらには2014年に左足の靱帯断裂で、選手生命の危機も、何度挫折を味わってももう一度、夢を見ることで、何度も窮地を逃れることが出来た。

「靱帯を切ったときも、絶対に復活してやると誓ったら、復帰第1戦で3位に入れた」。翌年には、さっそく復活V6も達成出来た。「子どもたちにとって、武藤プロはまさに生きた教材」と、井手文雄・校長先生も仰ったように、自らをお手本に、心をこめて訴えた。

「自分はこうなりたいと頑張れば、みんなもきっとそうなれる。夢を持ってください。夢があれば何回でも挑戦出来るから。そしていっぱい勉強してください。きちんと挨拶できる人になってください。将来必ずみんなの役に立つ」。

たちまち打てば響く素直さで、子どもたちから口々に、将来の夢が返ってきて嬉しかった。
児童代表の橋本爽礼(きら)くんの号令で、気持ちのよいお礼の挨拶が返ってきて、熊本に来て本当に良かったと思った。

長女の彩夏(さやか)ちゃんはバレエが大好きで、日頃から「何があってもバレエだけは絶対にやめない」と宣言しているだけあって、目に見えて上達が早い。そんなふうに「何かひとつでも打ち込めることがあると、人は必ず成長出来る。みんなも大好きなことをひとつ見つけてそれに向かって頑張ってくださいね」。
自分も6年前の東日本大震災では、地元群馬で震度5弱の揺れを体験した。
益城町の子どもたちは、あの何百倍もの恐怖を味わったと思うが、それでも負けて欲しくない。
武藤も負けない。
「僕も、賞金王目指して頑張ります!」。
いくつ夢を叶えても、生きる限り夢の途中であることを、これからも子どもたちに伝え続ける。

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