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福島県出身。内藤寛太郎が10年目の誓い

福島県のプロとして©JGTOimages
震災から10年の日が過ぎた。福島県の郡山市に生まれ、東北福祉大の4年間は、宮城県仙台市で過ごした。プロ15年目の内藤寛太郎はその日、いわき市のコースで調整に励みながら、当時の記憶をたどった。

10年前のあの日。
内藤は都内にいて、つながらない電話をかけ続けていた。

実家のご両親は丸3日間。
仙台で暮らす3つ下の妹さんにおいては1週間も、安否がわからなかった。

あの大混乱の中で「気が気ではなかった」。

家族に怪我はなく、みな無事とようやく分かった際の安堵。
「本当にホッとした瞬間のことは、今もまだ覚えています」。

やっと帰省がかなった時の悲しみも。
「実家や周辺の被害、総合体育館の窓ガラスが全部、割れていたり…」。
大地震が故郷に残した傷痕を見るのはつらかった。

そして、福島には今なお容易に癒えない大きな傷があることも。
「10年経っても帰れない方や、大変な思いをされている方、苦しんでおられる方が、たくさんいる」。
そんな中で、「自分は好きなゴルフをさせてもらえる」という思いと感謝は年々、強くなっていく。
「僕を育ててくれた福島の方々のために、自分は、何ができるか。どうすれば、少しでもお役に立てるか」。
特にこの10年間は、故郷への思いが原動力だった。

プロ14年目の昨年は、コロナ禍で大きな転機があった。
開催が実現したわずか6試合のうち、2戦連続のトップ10入りを果たした。
再開初戦の「フジサンケイクラシック」で7位につけると、続く10月「日本オープン」は、首位と2打差の3位タイにつけた。
大舞台で自己最高順位を更新し、初優勝に一歩と迫った。
また、特別措置で行われた2020最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」では、初出場も果たした。

4月から始まる2シーズン統合の2021年は、賞金ランキング12位から再スタートを切れる。
「この勢いで、さらにいい結果を残せるように頑張りたい」と、38歳が10年目の誓い。

中でも故郷で行われる一戦は、「毎年、応援してくださる方もとても多くて。気合が入ります」。
昨年は中止となった、6月24日ー27日の「ダンロップ・スリクソン福島オープン(グランディ那須白河ゴルフクラブ)」。
復活の今年。あれから10年の節目こそ「結果で日ごろの感謝を伝えられたら」。
今年一番の照準を合わせていくつもりだ。

※ヤフージャパンの「3.11震災10年特集」では選手会長の時松隆光と同副会長の石川遼が寄稿しています。こちらもぜひご覧ください。

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