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熊本地震から4年。アトムの祈り(4月14日更新)
その年の大会初日。4月14日は、偶然にも同郷で幼なじみの永野竜太郎と同組で回った。しかも、揃って首位で並んだ。その夜、地元・熊本県を、大地震が襲った。
安否を祈りながらのV争いで、永野は3位。重永は4位タイで4日間を戦い抜いた。
そして重永が、故郷を思う気持ちをさらに力に「東建ホームメイトカップ」で悲願のツアー初優勝を達成したのは、プロ11年目の18年大会。
震災から2年目を迎えた地元を、喜びで沸かせた。
「毎年、この大会のたびにメディアで取り上げてもらったり、選手会がチャリティ活動をしてくれたり…。大会の開催を通してみなさんに、熊本を思い出していただく良い機会となっていました」と、重永は語る。
昨年の19年10月には、復旧が進む熊本城の天守の一般公開が始まった(現在は一時休止)。また、来年3月には震災で崩落した阿蘇大橋の開通も決まったところだ。
4年目を迎えた今年もまた会場で、みんなで復興なかばの故郷に心を寄せながら、新しい1年が開けるはずだったが今年の大会は、先月26日にやむなく開催の中止を発表。
新型コロナウィルスに、シーズンの開幕を阻まれた。
「こんなことになって、とても残念です」と、重永。「でも、それ以上にこれは本当に命にもかかわること。世界中がいま脅威にある中で、今回は家族のそばにいさせてもらえる。そのことを、僕はむしろ本当にありがたく思っています」。
開幕初日に地元が大震災に見舞われた4年前は、菊陽町の自宅で被災した妻の和歌子さんが、当時3歳だった長女・亜子ちゃんと、まだ11カ月だった次女の夢芽(ゆめ)ちゃんを抱えて避難。駐車場の車中で何日も、余震の恐怖におびえながら過ごした。
飛んで帰ってやりたくても交通網は寸断されたまま。
離れ離れの家族を思って重永は、プレー中も涙をこらえられなかった。
「でも今回は、そばで家族を守れる。試合がなければ僕らプロゴルファーは生活も成り立たず、とても不安は不安なのですが、その反面こんなに長く、家族と一緒にいさせてもらえる時間はなかなかない」と、前向きにとらえる。
「プロゴルファーでなければ、ずっと家にいられる職業についていた」というほどの愛妻家&子煩悩。
「今は、いつ始まるか分からない試合の心配をしてストレスをためるより、娘たちと家でゲームをしたり、トランプしたり。ときどきは外に出て、一緒に自転車に乗ったり縄跳びしたり。ちょうどいいトレーニングです」と大切な家族との時間を満喫している。
難病指定の潰瘍性大腸炎を持病に持つが、今は病院通いも自粛している。
「薬が切れてしまってそこは不安ですが、薬をもらいにいってウィルスを持ち帰ることのほうがもっと怖い。自分はまだ若いからといって、甘くみてはいけない。人の命にも関わること。家族や周囲のためにも健康の維持と安全につとめて、今はとにかく不用意に出歩かないこと」。
ゴルフ界の”アトム”も、今は静かに休戦中。
「いまウィルスに苦しむ方々が、少しでも早く回復され、とにかく早くいい薬が開発されて、みんなに安全な生活が戻ってきますように…。誰にも、危険や不安が本当にひとつもなくなったときに、またみんなで思いっきりゴルフを楽しみましょう」。
震災から4年を迎えた愛する地元熊本で、家族とともに一刻も早い終息を祈っている。