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フジサンケイクラシック 2004

第32回フジサンケイクラシック初日コース新の63をマークして、芹沢信雄が首位タイ発進

最終18番は、左バンカーに打ち込んで、2メートルのパーパット。新記録がかかった この日最後の1打は 、「気楽に打つことができた」という。それを決めればそれまでのコースレコード64 が更新できることを、まったく知らなかったからだ。
芹澤の記憶では、ここ川奈のコースレコードは63だった。9アンダーで迎えた17番 パー3でティショットを左に外し、8アンダーにした時点で「記録はなくなった」と思 い込んだ。だから18番のパーパットも、「入れてもどうせタイ記録だし」と、何の気 負いも感じなかった。ノンプレッシャーで打った最後のパーパットはど真ん中から カップに沈んだ。
「今日は世界一のパッティングができた」と大喜びでホールアウトしてきたなり 「コースレコード賞30万円ですよ」と関係者に聞かされてびっくり仰天。「ええっ! ?マジですか」と、思わず声も裏返った。「こんな伝統のコースに、僕の名前を刻む ことができたなんてほんと最高ですね!」
2000年の開幕戦・東建ホームメイトカップで4年ぶりの復活優勝をあげたものの、そ のあとは不甲斐な い成績が続いていた。
2002年から2年連続で、賞金ランクによるシード落ち。生涯獲得賞金25位内での出場 資格は持つものの、「ツアープレーヤーたるもの、そういうのに甘んじていてはいけ ない」という忸怩たる思いも あった。
「ツアー界の中年の星でありたい」が、目標だった。
なのに、コースを歩けばギャラリーには、「今日は理子ちゃん一緒じゃないの?」聞 かれるのは、一緒にレッスン番組をしている人気女子プロ東尾理子選手のことばか り。いくらテレビの露出が多くても、トーナメントで活躍していなければ、世間から はひんしゅくを買うばかりとつくづく思い知らされたものだ。
「そろそろ俺も、ダメなのかな・・・」と弱気な思いがよぎったこともある。「今年 だめだったらほんとうにやばい」と、背水の陣で迎えたこのオフ。芹澤はもういちど 初心に帰った。
「一生懸命に練習すれば、いつかきっと報われる。とにかくいま、やれるだけのこと をやる」と決め、オフの合宿に取り組んだ。例年より倍以上にラウンド数を増やし、 最近、冴えがなかったショートゲームの練習に時間を割いた。
いつも一緒に練習している弟子の藤田寛之や宮本勝昌。「彼らに負けない気持ちでプ レーしよう」。若 手選手にも真っ向勝負を挑むことで、精神的なはりを取り戻していったのだ。
今シーズンに向ける意気込みは、かなりのもの。開幕戦で弟子の藤田が優勝したこと も、さらに45歳の心に火をつけた。
「俺だって、まだまだやれる」。自信を取り戻した芹澤を、さらに勇気づけるこの日 初日のコース新。「これでみんな俺のこと、“中年の星”って呼んでくれるかな?」 その“異名”を定着させるには、今週、最終日でのもうひと押しが必要だ。

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