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松山とグータッチ「私の特権」79歳も喜んだ歴史的快挙と大会成功(ZOZOチャンピンシップ)
上限5000人で踏み切った有観客試合は連日、満員御礼の中、誰もが最高のハッピーエンドを喜んだ。
「日本で開催することは簡単ではなかったと思いますが、その中でもこうして開催していただいて、その中で日本人の僕が勝つことは意味があることだと思う。すごく嬉しいです」と、松山も感激していた。
本大会はもともと、米ツアー秋のアジアシリーズとして組まれているが、韓国・済州島で行われる予定だった先週の「ザ・CJカップ」は米ネバダ州ラスベガスで開催。
また、本大会の翌週に行われる予定だった「WGCーチャンピオンズ」は中止が決まった。
両国間の選手の移動や感染状況、また検疫や隔離措置の影響が足かせとなった形だが、日本では2年ぶりの開催が実現。
その背景には主催者、関係者が今年1月から続けたという日本政府との粘り強い交渉と、米ツアーとこの2年で築いた強い信頼関係があった。
昨年大会は、やむなく米カリフォルニア州に会場を変えたが、米ツアーのクリスチャン・ハーディ上級副社長は「主催者のみなさんにとってはそれもリスクがあったはずだが、米国開催を承知してくださった」と、感謝する。
今年は、松山英樹が4月のマスターズを初制覇。
「日本のゴルファーが世界の舞台で頑張っている。今年はぜひ日本で開催するべきだと考えていた」と、経緯を明かす。
「ゴルフの市場規模が世界2位の日本はアジアの中でも特別な国。米ツアーの選手の中にも日本で開催する試合なら是非とも行きたいという選手がたくさんいる」と、ハーディ氏。
主催者の熱意と足並みを合わせて、2年ぶりの日本開催に、並々ならぬ心血を注いできたという。
交渉はぎりぎりまで続いたが、追い風になったのは今夏の東京五輪の成功だった。
「松山選手が4位に入り、稲見選手が銀メダルを獲得した。バブル方式を用いて安全な開催が実現した。日本でも米ツアーを開催できると確信した」と、説明。
加えて、有観客での開催についても「観客やファンが安全に観戦できるように日本ゴルフツアー機構(JGTO)も含めて話し合い、準備を重ねてきました」(ハーディ氏)。
チャーター機で入国してきた米ツアー選手と共に、繰り上げ組も併せて19人の日本ツアー選手も、成田市内のホテルでバブル方式を体験。
ホテルとコースを専用車両で往復し、ホテル内でも仮設のコンビニが使用できるくらい。専用の貸し切り階に行動が制限されるなど、徹底した防止策で、ひとりの感染者もなく無事、終了できた。
多くの尽力で、大会は大盛況で幕を閉じ、大会の共催として、JGTOの会長も感謝に耐えない。
「主催者のみなさま、コース、関係者のみなさま。そしてPGAツアーのみなさま。一緒に仕事をさせていただき本当に嬉しいです。2年ぶりの開催は、日本の選手たちにとっても大きな力になりました。本当にありがとうございました」と、頭を下げた青木功。
挨拶の最後にちらっと隣の勝者に熱視線を贈り、「PGAツアーの素晴らしいセッティングの中で優勝した松山選手、本当におめでとう」と、右手を伸ばしてグータッチ。
「すみません…! これが私の特権です」と79歳もニコニコ。
世界のアオキも歴史的快挙を心から喜んだ。