ホストプロがホスト試合で蘇った。
スリクソン契約の秋吉翔太が9バーディ、1ボギーの「63」で爆発。市原と並んで首位に立った。
18年のツアー2勝とも、逆転優勝だった。
初優勝を飾った同年のミズノオープンの会場は、ツアー史上初の8000ヤードで行われた。
でも、「今季はずっと悪かった」と、しばらく攻撃ゴルフが潜めたのは体の故障から。
「体重が下にかかって、股関節に負担がかかるスイング」と、日頃のくせがたたって股関節の可動域が次第に「ロック」。
それでも無理して振り続けたせいで、ついに肋骨挫傷を発症。
9月の「パナソニックオープン」で「激痛が走った」と、第2ラウンドで途中棄権していた。
MRIの検査で、患部で内出血が起きていることが確認された。
お医者さんには「デッドボールを受けた野球選手によくあるけどゴルファーではあんまりない。相当無理していたんじゃないか」。
そこから2試合の離脱を余儀なくされた。
「若い時はなんともなかったけど、30過ぎたら体の変化が凄いある。それをしみじみ感じた」と、31歳からの肉体改革の必要を痛感。
「いろいろ変えていかないといけない」と、トレーナーさんと話し合い、新メニューが完成されたのが、開幕前日。
言われたとおりに体を動かしたら、たちまちスムーズに体が動いた。
「岩田寛さんは振り切っていて、フォローがすごい長いなという 印象」と、練習日に見てイメージを高めておいたベテランプロのスイングも即、体現することができた。
「今日のスコアを見れば大丈夫」と、完治と復調といっぺんに実感することができた。
みんなで青い服を着て謝意を示す大会初日の「医療従事者感謝day」では、大会主催のスリクソンが契約プロ全員に用意してくれたそろいのウェアでプレー。
同組の先輩ホストプロの塚田陽亮(つかだ・ようすけ)とはそもそも体型や髪型が似ており、ただでさえ「普段から『塚田さんですか?』『秋吉プロ?』と、よく間違われます」と自覚があるのに、この日は全身まったく同じウェアでほぼ双子。
せめて成績ボードで区別化をはかったわけではないが、まずは先手を打つ好発進。
久々の囲み取材の最後に、「もう1個言っていいですか?」と、自ら全力ピーアール。
「契約プロなんで頑張ります!」と、ホスト試合でやにわに元気いっぱいだった。