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震災11年。谷原秀人の3.11

11年前のあの日は忘れもしない。

谷原秀人は宮城県仙台市にある母校、東北福祉大のオーストラリア合宿にOB参加していた。

 

夜、練習から戻った宿でニュースを見た。

 

これは、帰国してから実感したことだが、遠く離れた海外だからこそ、その映像は逆にリアルに恐怖や不安を呼び「自分は勿論ですけど、学生たちもみんなすごく動揺していまして、安否確認などで騒然となりました」と、振り返る。

 

監督ひとりが緊急帰国し、谷原はとりあえず残って現役生たちと当初の日程をこなすことになったが、誰も練習に集中できるわけがなかった。

「仙台空港ものまれましたし、新幹線も動いていない。学生たちの帰国後の安全確保や帰宅先の手配などもありましたし、みんなゴルフどころではありませんでした」。

 

参加者の中には、翌月にマスターズの初出場を控えた当時大学1年の松山英樹もいた。

 

出場を諦めようとしていることは分かったが、「ヒデキや、ヒデキのご家族や大学が決めること」と、谷原は自身の出場経験(2007年)や、コースの特徴などを話して聞かせる程度にとどめた。

 

オーストラリアから戻ってすぐ松山が、本戦までどこで、どのように過ごしたか詳細は知らないし、その課程でどのような心境に至ったかもわからない。


でも、あのときみんなの思いを背負って出場することを選んだ松山が、日本人初のベストアマを持ち帰り、その後、谷原が2度目の出場を果たした2017年には一緒にオーガスタの地を踏むこともでき、さらに震災から10年目についに初制覇を飾ったことは、谷原にも感慨深い。


谷原が数年ぶりに、大学時代からお世話になる仙台の恩人を訪ねたのは昨年末。

 恩人と、松山の吉報を分かち合うと共に、10年目の復興状況についても話しを聞いた。

仙台の中心部こそ、10年前とほとんど変わりなくても、一歩、市外に出ればまだまだ困っている方や、苦しんでいる方々がたくさんおられる。

 

谷原の2学年後輩で、岩田寛や宮里優作らのゴルフ部同期も大切なご家族を亡くしている。

谷原にはかける言葉も見つからず、岩田や宮里らに任せきりだったが、今も心のどこかで気にかかる。

 

ジャパンゴルフツアー選手会では毎年、東北3県へのチャリティを続けており、新しい選手会長に就いた今年は谷原が、先導して担っていかなければならない。

 

「選手会も残念ながら、そんなに財源があるわけではないので、今までと同じように続けていくことは、確かに大変なんですけど、それでも続けていくことこそが大事で、今年はどんな形で貢献できるか。またみんなで話し合っていかなければいけません」。

 

近年は、毎年どこかで数十年に一度のような自然災害が起きており、今はコロナの問題もある。

世界では戦火も上がり、胸の傷むことばかりが続く。

「支援する側にも体力や、相応の蓄えが必要だと痛感します。選手会でもより多くの方々のお役に立てるような、しっかりしたシステムを構築できないか」。

3月末のツアー開幕を目前に、改めて使命を我が身に課した。

 

11年目の今年、松山はマスターズで連覇の偉業がかかる。

現在、痛めているという首の状態は、谷原にも非常に気がかりだが、「ヒデキも、震災のことを忘れたことはないと思うので。めちゃくちゃ、頑張ってくれている。僕も、しっかり自分の役割を果たしていかなくてはいけません」。

新・選手会長にも後輩の奮闘がどれほど励みか。


ヒデキ(左)と2017年にオーガスタの12番ホールで撮した1枚。世界に誇る後輩です

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