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すべてはシンガポールから始まった。桂川有人が最優秀新人賞に輝くまで

賞名にもつく功労者が去ったのは、今から14年前。
今年、「最優秀新人賞 島田トロフィ」を獲得したプロ2季目の桂川有人(かつらがわ・ゆうと)は24歳。 ツアー部門別データ
当時はまだ10歳だった。


分からなくて当然だ。

5日に行われた部門別表彰の「ジャパンゴルフツアー表彰式」の受賞を待つ舞台袖で、「“島田トロフィ”って…?」と、スタッフに尋ねていた。


日本ゴルフツアー機構(JGTO)を起ち上げた初代会長の島田幸作(しまだ・こうさく)氏は特に若手の育成に熱心で、プロテストを受けなくても、ツアーに出られる制度の構築に尽力。


2007年に、石川遼が達成した15歳での史上最年少アマVはその最たる成果だったが、翌2008年11月の石川のプロ初Vを見守るように死去、享年64歳。
島田氏の突然の訃報に石川も号泣した。


 島田氏(右)から2007年の優勝を称える特別賞を受け取る石川遼。島田氏の訃報はそのわずか1年後でした


以後、その功績を称える目的で、「最優秀新人賞」に島田氏の名前を冠することになった経緯がある。

「そうだったんですね…」と、桂川も神妙な顔で聞き入っていた。


島田氏とプロ同期で大親友だった青木功が、島田氏の説得に根負けし、JGTOの特別顧問を引き受けたのも、氏がこの世を去る直前だった。

その後、小泉直(こいずみ・ただし)氏と、海老沢勝二(えびさわ・かつじ)氏が歴任したJGTO会長に、青木功が就いたのが2016年。

就任7年目の今年は特に、若手の台頭が著しい1年となった。


桂川を含めて4人(6大会)のツアー初勝者と、12人の初シード選手誕生が、新世代の到来を告げる。

「僕と同じ世代の選手がたくさん出てきた中で、この賞をいただけたことは本当に嬉しいです」と、桂川が受賞の喜びを語る隣で、今年は飛距離1位を獲った怪物ルーキーの河本力(かわもと・りき)がうらめしそうに指をくわえた。

「ユウトさんはいいなあ……。僕も新人賞が欲しかった」。




「ごめんね…」と、いつもの優しい声で謝ったが受賞条件は、初出場から3年内か出場30競技以内。

河本には、来季以降もまだ大いにチャンスがある。
「次はぜったいリキくんだよ!」と、桂川。
石川の快挙に「自分にもできる」と、夢見た当時の少年たちが、今では当たりまえのようにツアーで活躍する時代がやってきた。


歴史のバトンは、確実に受け継がれていく。



4月の「ISPS HANDA 欧州・日本、とりあえず今年は日本トーナメント!」でツアー初優勝を飾った桂川はそこから破竹の勢いで、賞金上位を走り続けた。

今季の「トータルドライビング1位」も証明する飛んで曲げないショットを武器に、誰より上手に前に飛ばすと確実にグリーンを捕らえて「パーオン率(75.585%)」でも1位に。


10月の「日本オープン」最終日に同組対決した豪州のアダム・スコットもその堅実さを認めて、「あとは、パットが入ればね」と、太鼓判を押したとおりに、その2週後に受験した米二部「コーンフェリーツアー」の予選会で、初戦から数試合の権利を持ち帰った。



最初の契機は今年1月だった。

上位4人に全英オープンの資格がある「SMBCシンガポールオープン」で2位の成績を収めて、7月にはメジャー舞台で決勝ラウンドも経験できた。

「そういえばそうでした……。シンガポールから、まだ1年も経ってないんですねぇ」と、怒濤の1年もあっという間。


高校時代のフィリピン留学でしのぎを削った親友のトムキム(右)との再会の地でもありました


バハマで始まる1月の米二部・開幕戦まであまり時間はない。
「楽しみにしていたので。なんとか観てから発ちたいと思っています」と、嬉しそうに微笑んだ。

大のプロレス好きには、新年4日に行われる東京ドーム大会はどんなに多忙であっても外せない。


2023年も制御不能の活躍を!

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