2011年3月11日。高さ8.6mもの津波が大川小学校をのみこみ、児童74名、教職員10名が犠牲となりました。石巻市は、この事象と教訓を伝え続けるために学校を震災遺構として残すことにし、「いのち」について考える場所として今も語り部さんが当時の出来事を伝えています。
「とてもいい経験になりました。今日説明していただいた語り部さんも娘さんを亡くされているとのことですが、ああやって話すことも辛いはずなのに、本当にすごいことだと思います」と米澤。米澤、金谷、杉原は震災時はまだ小学校の5、6年生だが、当時のことは記憶しているという。今回の訪問で震災を伝えていくことの思いを強めた様子でした。
また、青木会長にとっても宮城県は震災直後に訪れた思い出深い地で、大川小学校の光景を眺め、言葉にならなかった当時を思い起こしているようでした。
時間が経つにつれて、実際にあったことを鮮明に伝えていくことは難しく、並大抵の努力ではありません。プロゴルファーとして何ができるか、何を未来へ伝えることができるのかを、改めて考えるいい機会になったのではないでしょうか。
大川小学校の校歌には「未来を拓く」というタイトルがつけられています。小さないのちの意味を考える貴重な経験をさせていただきました。