「小さいときから夢でした」。
鍋谷太一(なべたに・たいち)が初優勝を掴んだ。
16歳のプロ入りから12年目の大願成就を達成した。
出場資格がなかった2019年や、腰痛に苦しんだ今夏など、追い詰められたときほど、眠れぬ夜によくみたのは自分が初優勝する夢。
いつも大泣きして目が覚めて、夢とわかって最悪な気分になる。
でも、現実は「多分、泣かないんじゃないか?」。
5人が並ぶ大混戦の首位から出た最終日はそう思えるくらいの冷静さで、集中もできていた。
前半のバーディは、手前のワンピン・スライスを沈めた7番だけ、と伸び悩んだが、「チャンスメイクはできていた」と、自信があった。
首位と2差に縮めた15番でのバーディは、「集中して打てていた」と、手応えもあり、17番で6メートルを決めると特大のガッツポーズも出た。
ついに並んで迎えた最後18番は、奥のバンカーから寄せて60センチ。
ウィニングパットは短かった。
でも、「見れば見るほど長くなり、3パットもありえる。あと半分くらいは寄っとけよ」と、自分の番を待つ間もうらめしかった。
「呼吸を整えて、狙ったところに打つだけ」と、言い聞かせてバーディで締めくくると「わけわからんくらい、夢と変わらんくらい、涙が出てきて前も見えない」。
同組の金谷や細野が「おめでとう」と、お祝いしてくれているのに、うまく応えることもできない。
「歩くのも大変で。めっちゃ泣いてるやん」と、自分にツッコミ。
「マジで夢なんじゃないか」と、すぐには実感がわかなかった。
「本当に現実なんだ」と、夢から覚めてもまだ「経験したことのない喜び。信じられない気持ちです」と、噛みしめた。
ティーチングプロのお父さんに教わり、8歳からクラブを握り、16歳の関西学芸高校1年時(2012年)にもうプロ転向したから12年目。
いま時期は毎年QT会場で、来季の出場権を模索し、なんとか出場権を得ても、リランキング後の後半戦まで居残れず、「それが何年も続いて。マジで楽しくなかったし、稼げなくて赤字だったし、父親の援助でなんとかやりくりしていたけど、仕事として成り立っていなかった」。
同級生が大学を出て、就職し、ひとり立ちを始めるちょうど22歳のころは「本当に、お金もなかったので、劣等感があった。離れようか」と“転職”を考えたことも。
しかし2019年に結婚し、21年には子どもも授かり「もうやるしかない」と、独身時代の甘えを捨て、レッスン業で食いつなぎ、「なんとか生きていけると自信もついて、そこからゴルフも変わっていった」と、転機が来た。
昨季、賞金ランク45位でやっとレギュラー昇格し、シード初年度の土壇場に美酒。
「もちろん次の目標は、2勝目なんですけど、今は若い子たちが凄くて、今日一緒に回った金谷くんや細野くんを見て、僕はまだ2勝目のレベルに達していない。まだまだ成長しないといけない」。
父は兜の緒を締める。
愛妻の手料理は「群を抜いて、マカロニサラダがバリくそ上手い。それでコメなんぼでもいけるんです」と、大阪出身の関西弁も弾けた。
「帰ったら絶対にマカロニサラダが並びます」。
人生イチの幸せな食卓に、また泣けてきそうだ。