ファイナルQTランク8位の資格で本格参戦した昨年は、5位に入った開幕戦「東建ホームメイトカップ」をはじめ、トップ10が6回。
最終日最終組も2度経験し、賞金ランキングは23位。シーズン最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」にも出場を果たしたが、初優勝には一歩届かなかった。
「今年はぜひ優勝したい」と今時期は、ほぼ沖縄で家族と合宿中。
「ドローも、フェードも打てるようになりたい」と、試行錯誤のスイングを見てくれるのはお父さんの誠一さんだ。
小学時代に細野がクラブを握るのと同時に、ご自分は趣味のゴルフをやめてコーチに徹してくれた。
「プロ入り後は、プロのコーチをつけたらと言ってはくれたのですが。僕のスイングを一番知ってくれているのが父なので。僕はお父さんでいい、と」。
今も仕事が許す限りラウンドに付き添い一緒に歩いてくれる。
元日から来て、19日にいったん山口県山陽小野田市の自宅に帰ったが、またすぐ29日に沖縄に戻ってきた。
民泊しながらの自炊生活を支えるのはお母さんの洋子さん。
昨シーズンも、ほぼ全試合に帯同してくれたそうだ。
家族総出のバックアップ。
「本当にありがたいです」と、噛みしめる。
心臓に先天性の病気が見つかり手術したのは生後2ヶ月のとき。
お母さんによると、元選手会長のげんちゃんこと時松隆光(ときまつ・りゅうこう)もまた、生まれて4ヶ月で手術をしたのと同じ病名だそうだ。
「難しくて忘れちゃいましたけど、今は何の支障もないし、ハタチの誕生日を最後にもう検査もしなくてよくなったんですよ」と、健康を実感する。
運動量の激しいスポーツを避けてゴルフを始め、トレードマークの左打ちは、もともとの左利きをあえて矯正しないでクラブを持たせたお父さんの指導による。
打撃場の席数が少なかったり、昔はクラブの種類が少なかったりと苦労もあったが、シード選手で唯一のレフティとして注目を集める。
今シーズンから、新たに三共グループとの所属契約も決まった。
先月の沖縄合宿中には、ちょうど帰省していた宮里優作(みやざと・ゆうさく)がラウンドに誘ってくれた。
漢字違いの“ユーサク”というご縁もあり、かねてより憧憬していた歴代賞金王の大先輩。
「楽しくお話しながら終わっちゃいましたけど、もっとゴルフのことをお聞きすればよかったかな・・・」と、希有なチャンスでちょっぴり後悔。
昨年11月の「ダンロップフェニックス」では松山英樹やケプカと回る機会もあり、「凄い経験。自分持ってるな、と」。
今、思い出しても至福の時間だ。
6月の「BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」の会場では、伝説のレフティとも初対面した。
「去年、声をかけていただいて。頑張って、アグレッシブに攻め続けてね、と」。
細野が勝てば、羽川豊(はがわ・ゆたか)氏が通算5勝目を飾った1991年「ダイドードリンコ静岡オープン」に続く、33年ぶりの左利きV。
「羽川さんにも良いご報告ができればいいな」。
今年こそ、チャンスを掴み獲る。